神よ悔い改めろ

平々凡々な生活を過ごしているはずだが、そういう日々を過ごしているからこそ過去の傷は突然蘇ってくる。激しいフラッシュバックが何度も起こり、目の前の日常が辛いものになる。

最近はまた悪夢を見る頻度が増してきていた。

まともであろうとしている無理が祟ってきているのかもしれないし、深層心理がいつかのどん底を忘れないようにブレーキを掛けているのかもしれない。

「幸福」が過ぎ去って、空白になった部分を埋めようとする力が働く。

自分が犯した間違い。
他者の間違いを許せなかった記憶。
憎しみ合った記憶。

自意識など持たず何も考えたくない。ちっぽけな自分というものに気付かずいられたならどれだけ人生苦しまずに済むだろうか。いくら思い返してみても、どうしても輝かしい記憶が見つからず、この人生なんて二日酔いみたいなんだろう、と思う。

僕はこの世界で生活していながら生きるためのルールが分かっていないのではないだろうか。

              ○

山本弘「神は沈黙せず」を読むと旧約聖書のヨブ記について言及していた。
つい全容を知りたくなったので読んでみたが、これは、僕のような神の存在について疑いを持つ愚か者にとって激しい苦悩を植えつけられる書であった。

内容としては神がサタンとギャンブルをし、ヨブはありとあらゆる財産を奪われ皮膚病になり、生まれてきたことさえ後悔するが最終的には神と奇跡的な会話を為し、元あった財産の倍ほど授かり苦しみから解放されるという話だ。

僕がクリスチャンでないのと「神は沈黙せず」を読んだ後なのが相まったのもあるだろう。そして数ある教典の中からヨブ記だけを読み批判するのは間違えているだろうが…このヨブ記に限って書くなら…もし神がいたのならその内容は「神よ悔い改めろ」と言いたくなる物語だった。

まず、なぜギャンブルの掛け金としてヨブの僕<しもべ>や家畜、子供ら10人の命をそれも興味本位で差し出さなければならなかったのだろう。なぜ全て奪われても神の存在を疑わないほど敬虔なクリスチャンであるヨブが選ばれなければならなかったのだろう。

サタンの挑発と賭けに乗った時点で神は過ちを犯している。
賭けに買っても負けても得られるものなどひとつもなかったはずなのに、どうして罪のない人間を試し、周囲の者全てを亡き者にする必要があったのだろう。

最後にヨブが倍ほどの財産や、新たな僕や家畜、容姿に恵まれた子を10人を授かり140歳まで長生きられたとしても、死んでいった僕や家畜、子供らの命が救われたとはどこにも書かれていない。輪廻転生がないことを示唆する文章すらあるというのに、死んでいった彼らについては何一つ書かれていないのだ。

日本キリスト教団のサイトからヨブ記の解説を読んだが、まるで見当はずれなことが書かれていた。僕が知りたかったのは、ヨブは神と出会えたから良かったとか、神には畏怖の尊敬を持つべきであるとかそういうものじゃなく、ただ一点の質問の回答だけだ。

「ヨブの、奪われた側の狂気はどこへ?」

悲しみは聖書で回収できない。

              ○
軽く飲むだけのつもりが、気付けば激しい雨に打たれ、深夜4時を過ぎていた。楽しい時間は既に過ぎ去り、帰り道は遠かった。

何かにひどく傷ついていた。原因も分からず壊れそうだった。その夜は気がどうかしていて、ようやく辿り着いた我が家でさえ安息を感じられなかった。シャワーを浴びる力も、体を拭かねばという理性さえ働かず裸の身体をベッドに投げ出して眠った。ただ力尽きるその時まで、何もかも忘れられるほどのセックスをしたいと思っていた。

そうしてまた悪夢を見た。何度も自殺する夢を見続けていた。

僕の中には救われたいという気持ちと、決して救われてはいけないという強迫概念が同居する。僕は神がいてほしいのか、または神などいないという証明がほしいのか、自身でも分かっていない。

幼い頃から守ってくれる父もいないまま育ち、母のない孤独の闇の中で眠り、思春期に直面した妹の死について納得のいく答えも探せないまま、神がいてくれればどれだけ救われるか何度も何度も考えていた。

僕もヨブのように、苦しみの人生を死ぬまで生きねばならぬのか。

神よ、僕は前世で何をしたか知らない。妹も父も、前世で何をしたか知らない。
神よ、あなたは僕を使ってギャンブルをしているのか?


悲しみが吠える。キーボードを叩く指に火が灯る。結末を見つけられないままエントリーを終了させねばならない。

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