高反響性物質
兎角人生は思考でできており言葉や事実は環境でさえあれ不可知的であり理解や真実からは程遠いと書いてみたけど一体何を書いているのか自分でも分からないので今日はノーストップで怒り悲しみ流れる血液そのままを書いて後で恥をかいてみる。どうせ生き恥さらすために男という物質に産まれてきたのだから余すことなく恥から恥まで正直に自戒し破戒していく。国や人の無謬性を疑うための必要なファクトは小説でなくてもいい。昔あったファミコンソフトで何の説明もなしに平原にポツーンと立たされて一体何から始めて良いのか分からないRPGがあったのを覚えている人はいるだろうか。プレイ直後からああいうわけのわからないものを背負わされたという不安感をあらゆる現代人は持っている。別に一元論を持ち出すわけじゃないがある程度この社会にはそれこそ矛盾性の強い理屈が敷き詰められていて僕たちの社会とそれに付随する思考はもはや追いつかない速さで多様化していっているが同時に気付くためのヒントだって無数にあった。たぶんそんな社会で必要なのは言語運用能力でありそれはすなわち生存適正性であり進化の過程であり生き残る術である。ほとんどの思考は言語運用能力がなければ引き出せないが思考能力の色を広げるのもまた原体験であり体験でありそれが相互関係である前提がある以上「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とはもはや言えないほどの精密社会に僕は眠り、比較するための自我を持ち、何処で自分を放棄するだろう。
睡眠欲、食欲、性欲でさえも金を出せば満たされる安全な僕の社会はもはや金を出せば簡単に満たされるというわけでもない承認欲求を強め、SNSは全世界を巻き込んで拡散し続けているコミュニケーションツールとして期待された構造は機関銃のように極めて無慈悲であり人と人との暖かを断絶させてあるはずのないものの存在を文学的に言えば喪失を得る現象がこのブログによって指摘されるわけである。
爆発の後は酸素がない。
無限の孤絶がPC液晶やタブレットのガラス、スマフォを握るその手から肌を伝い空気を震わせ我々は永遠に見えなくなっていく。夢と現実、愛と炊飯器(金、金をくれ、とんでもなく堕ちてやるから)。要は、僕は人生とは今以上であることを知りたいのだけどそれを知るにはある種の才能が必要である。気付いたり驚いたりすることが哲学の始まりであるように「知らない」ということを知るためにはいったいどれほど本を読み酒を飲み人と気まずい関係に陥らねばならないのだろう。そうそう少しキーボードに触れている指にも意識が傾きはじめたのでそろそろ現実のことを語らねばならない。夏目漱石の文学論であるように結局あの畸形論(f+f)は残念ながら人生でさえもある程度説明づけられるのであるがダーウィンの相対性理論が未だ完全から遠いように僕たちは前提を持って進化を持ち続けていたはずなのにありとあらゆる意思相伝は失敗し人は未だに分かり合えないでいる。
誕生日プレゼントに頂いた急須と茶飲み茶碗を使って緑茶を飲みながら僕は「人に与えられたものだけで生活している」と思った。全てにありがたいありがたいと感謝して回るくらいなら坊さんにでもなればいいが僕はそのあたり会話する仕事をしているのだろう、摂り過ぎたカフェインが「異性の前では態度を変える」「自分の話ばかりする」「年下は何を言っても許してくれる」という期待を宿命する彼らを忘れるためキーボードを叩く手は加速度をあげていく。いつかコーヒー豆がこの世界からなくなるまで書かねばならない。会話はキャッチボール。もう少し強く投げても良いとは言ったが100球振りかぶって投げてこいとは言ってない。汝ワインドアップポジションをやめたまえ。
僕は書くとはどういうことか、読むとはどういうことかという答えが用意された質問を壊してまた問いかける。時に他人を傷つけ、時に罵倒に持ち出される嘘と本当の境界線をもたないこの活字の群れをさまよう。夜はどこにあるのだろう。昨日あれほど憎かったのに。与えられた自由を活かすこともないまま無情に時間が過ぎていく。怠惰にもし罰があるなら無辜な男など一人もいないのだから今こそ神よ、僕たちに行く道を示せ。どうかラインで付き合ってほしいとか別れたいとかいうふざけた人間関係を構築しないでくれ。まもなく静けさを求める。夜がとまる。都会の喧騒の中で、SNSから遠く離れた世界を思い出してはふと夜空を見上げて僕は驚く。
東京に空がないように大阪にだって空がない。
睡眠欲、食欲、性欲でさえも金を出せば満たされる安全な僕の社会はもはや金を出せば簡単に満たされるというわけでもない承認欲求を強め、SNSは全世界を巻き込んで拡散し続けているコミュニケーションツールとして期待された構造は機関銃のように極めて無慈悲であり人と人との暖かを断絶させてあるはずのないものの存在を文学的に言えば喪失を得る現象がこのブログによって指摘されるわけである。
爆発の後は酸素がない。
無限の孤絶がPC液晶やタブレットのガラス、スマフォを握るその手から肌を伝い空気を震わせ我々は永遠に見えなくなっていく。夢と現実、愛と炊飯器(金、金をくれ、とんでもなく堕ちてやるから)。要は、僕は人生とは今以上であることを知りたいのだけどそれを知るにはある種の才能が必要である。気付いたり驚いたりすることが哲学の始まりであるように「知らない」ということを知るためにはいったいどれほど本を読み酒を飲み人と気まずい関係に陥らねばならないのだろう。そうそう少しキーボードに触れている指にも意識が傾きはじめたのでそろそろ現実のことを語らねばならない。夏目漱石の文学論であるように結局あの畸形論(f+f)は残念ながら人生でさえもある程度説明づけられるのであるがダーウィンの相対性理論が未だ完全から遠いように僕たちは前提を持って進化を持ち続けていたはずなのにありとあらゆる意思相伝は失敗し人は未だに分かり合えないでいる。
誕生日プレゼントに頂いた急須と茶飲み茶碗を使って緑茶を飲みながら僕は「人に与えられたものだけで生活している」と思った。全てにありがたいありがたいと感謝して回るくらいなら坊さんにでもなればいいが僕はそのあたり会話する仕事をしているのだろう、摂り過ぎたカフェインが「異性の前では態度を変える」「自分の話ばかりする」「年下は何を言っても許してくれる」という期待を宿命する彼らを忘れるためキーボードを叩く手は加速度をあげていく。いつかコーヒー豆がこの世界からなくなるまで書かねばならない。会話はキャッチボール。もう少し強く投げても良いとは言ったが100球振りかぶって投げてこいとは言ってない。汝ワインドアップポジションをやめたまえ。
僕は書くとはどういうことか、読むとはどういうことかという答えが用意された質問を壊してまた問いかける。時に他人を傷つけ、時に罵倒に持ち出される嘘と本当の境界線をもたないこの活字の群れをさまよう。夜はどこにあるのだろう。昨日あれほど憎かったのに。与えられた自由を活かすこともないまま無情に時間が過ぎていく。怠惰にもし罰があるなら無辜な男など一人もいないのだから今こそ神よ、僕たちに行く道を示せ。どうかラインで付き合ってほしいとか別れたいとかいうふざけた人間関係を構築しないでくれ。まもなく静けさを求める。夜がとまる。都会の喧騒の中で、SNSから遠く離れた世界を思い出してはふと夜空を見上げて僕は驚く。
東京に空がないように大阪にだって空がない。