珈琲を飲む

ヤリチンブログ、というのを軽く検索してみた。
なかなか見つからない。誰とでも寝る男のブログは出会い系サイトの広告に埋もれて表に現れないらしい。

馬鹿でさみしがり屋の、簡単には届かない求愛の訴え。
悪くない。

コーヒーを淹れることにした。少しは人間らしくなるはずだ。
水が適量入ったポットを乗せてコンロに火をかけた。

ただの女好きがログを取るようなマネはしないのだからヤリチンブログには特別な意味がある。
それは、去ったきり二度と帰ってこない女たちに送る男なりの「サヨナラ」だ。
俺は忘れていないという訴えなのである。

湯が沸くまでにコーヒー豆をミルにかけ、ペーパーフィルターをドリッパーにセットする。
湯が沸ききる前に火を止め、少量マグカップに注ぎ器を温めておく。後はカリタ式に従って湯を注いでいく。

正しく注げばドリップされたコーヒーが丸い液状を形成しガラスサーバーを遊びまわる。これを拝むためには水も大事らしい。大阪の水はコーヒーに合うのでそう難しいとは思わない。

一軒家の水は直接水道管からくるがマンションの水は貯水槽からくる。管理次第だが当然味も変わってくる。
大阪の水は旨い、不味いの意見が分かれるがほとんどは住んでいる住宅に寄るのだろう。
この丸い液状を妖精だというロマンチストもいるらしいが、僕はそれをバカらしい表現だと思っている。

マグカップを持ってソファへと戻り、ブログの続きを考える。

男が誰と寝たか喋る時は虚栄心に駆られている時か、その夜自慰行為に耽る時だけだ。
ヤリチンブログを探すのは早々にやめた。理性、文章、服を脱いだ状態で行われるセックスを回想することは普段ないのだからヤリチンと文章はなかなか相容れないものなのだろう。

ソファにもたれ掛りながら天井を見つめて、ある種の復讐心で女を抱く男にしか男女間の世界は描けないのだろう。そう想像した。昼下がりの眩しい光が窓を突き抜けて壁を照らしている。

僕は悪い心を持っている数少ない動物の一人だ。

今日淹れたコーヒーはなかなか旨かった。粉の粗さを変えたのが良かったのだろう。
コーヒーを淹れている時間は"自分は好きなことをしている"と思える。昨日抱いた女の顔など少しも思い出さない。

ヤリマンブログはもっと見つけ出しにくいだろう。女は男を思い出さない(と願っている)。
性器の色形やセックスの態度などは思い出さないし、ましてや他人には言うまい。
それをするくらいなら他の男と寝るだろう。

振り向かないことが女の美しさで、成長のない男だけがそのことを実によく理解している。

本日のエントリーはここまで。

ところで、いつも現代的な男女関係をエントリーした後ふいに虚しくなって思うことがある。
僕はいったい何しにこの世に産まれて来たのだろうね。

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