夜の行く末は
深酒して、午後1時30分まで寝ていた人間がその日何かできるだろうか。ベットから時計をみながら暫くぼんやりしていた。
とりあえず起きて布団をたたみ、歯を磨きながらむくんだ自分の顔をみた。飲んだ翌日に頭痛がしたり顔がむくんでいるのは、実は飲み過ぎだからではなく、水分が不足しているからなのだそうだ。焼酎水割を飲んでいてもそのくらいの水じゃ足らないそうだ。寝る前にコップ一杯でも水を飲んでいると翌日けっこう差が出るらしい。
僕は知っている。知っているのに、どうして僕はそれをしないのだろう。頭痛がひどい。晴れているのがせめてもの救いだ。
水をがぶ飲みし、二日酔いを抑えるために昼ご飯を食べ、食器を洗い、シャワーを浴びながら、今日の自分が一体なにをできるのだろうかまた考えた。
ブログ、ブログか…と思いこうしてポメラを開いてキーボードをパチパチ叩いている。僕は文章を書くのも好きだけど、こうしてポメラに触れているのが好きなのだ。そういえばこれを譲ってくれたKさんとしばらく会っていない。
カメラを買ったのでまたどこかへ一緒に撮りに行きたいのだけど、最近は忙しいのだろう。
そういえば、といえばもうひとつ書いていて気付いたことがある。PCの前に座り文章を書いている時や、表示サイズを変えた時、タブレットに文章を打っている時、手書きでノートに書いている時、書く内容はほとんど変わってしまうようだ。
選んだ原稿によって人は書くものを変えさせられる。これは空白に立ち向かう画家たちと共通する部分だろうか。
もっと一般的な話に落とし込めば、いつも小さなスマフォでみているツィッターをPCやタブレットでみると全く面白くなくなる、という感覚に近いと思う。
ほとんどの人間は大した自己を所有していないので、こういう神経末端の感覚に従うしかないのだろう。それだけ曖昧なものを我々は本質と呼んでいる。
だからもしこれを読んでいるあなたが(もしくは書いている僕が)自分の人生を変えたいと思うならまず考え方を変えたりブログを読んだりするのではなく生活する場所や仕事を変えればいいと思う。
僕が僕を変えたくなったらまず生きる夜を変えるだろう。
○
何気なく、手にとった小説を読んでいたらもう17時になった。このままぼんやりしながら僕は老いるだろう。
飲みに出ようか。立ち飲み屋で飲み食いしてればバーも開きだすだろう。
今晩また飲めば明日また後悔するかもしれない。明日何かの罪滅ぼしのために飲めば、明後日はまた別の類の後悔がやってくるだろう。いつか脳細胞が死滅して、何も考えられなくなるまで飲めば、最後の日は、後悔などしなくて済むのだろうか。だったら酒に溺れ死にかけたり女に妬まれて生きるのも悪くない。
とにかく僕はこのままコタツと同化する前に家から出ていく。
明日二日酔いの中でまたブログを書いてしまったら、まぁいつでも良いけど読んでほしい。
これも、声の届かないあなたとの一種のコミュニケーションであるから。
コメント
コメントを投稿