渚にて
もう駄目だというほど飲んで、日曜の朝方「どうしてあなたそんななの」と言われた気がする。
○
今朝は路面の所々が凍っていた。
昼過ぎは吹雪いていた。
僕は二日酔いだった。
週末はほとんど寝ずに飲んでいて、頭が馬鹿になってずっと食べていた。先週、ダイエットを開始して貯金もせねばと思っていたのに、僕はまた自分を裏切ったことになる。
飲むととても良い詩が思い浮かぶ。けれど翌日にはすっかり忘れていて、それがどんなのだったか思い出せず歯がゆくもなるけれど、どんなのだったか想像しながら書くエントリーは楽しくもある。
先週は中島らも「永遠も半ばを過ぎて」を読んだ。どうやら映像化されているようだが正直それを追うほどの興味は持たなかった。少し面白い程度の作品を読むのは別に何も思わないが、ただ、読了後にネビル・シュートの「渚にて」に手を出すんじゃなかった。
(渚にては核戦争により北半球が壊滅に至り、半年後には南半球の人類まで絶滅する話だ)
僕はあれを読み始めたせいで怯え、人類最後の日をどのように過ごすか想像して苦しみ、夢にまでみた。1957年に書かれた小説に、孤独主義に向かうアメリカにだんだん終わっていく世界を重ねてしまう2017年。
僕は今年32歳になる。
死ぬには若すぎるか年を取りすぎたようだ。
○
どうかしているのではなく、既に全てがどうかした世界で正常でいる必要はない。
いずれ人は死ぬ。それは分かる。けれど半年後、個人じゃなく人類が死に絶えるとしたら、僕は何をするのだろう。何をすれば良いというのだろう。
今のところ作中の登場人物のようにブランデーを飲むくらいしか考えが及ばない。
渚にて第四章では、半年後にはもう誰も生存していないと分かっていながら主人公の妻が主人公に”咲くまで5年もかかるユーカリの花”を庭に植えようと会話する場面があり狂気を覚えるほど悲しい。
しかしながら現実にはまだ人類が絶滅する予定はないのだからこういったことをウダウダ書いてもただ飲み過ぎの言い訳に過ぎないと分かっている。僕は単純に、影響を受けすぎる男なのだ。
一九八四を読んだ時も全体主義に支配された社会に住む自分の夢を見た。
自分のことを、自分好みの悲劇を選んで買っている余裕のあるブロガーだと定義しておきたいが、読んだものに恐怖し酒に逃げるなんて喜劇もいいところである。
○
本日の仕事は早めに切り上げて帰宅した。
バーの仕事はない。
今晩くらい「渚にて」を読み進めず、できるだけ家から出ずノンアルコールで…飲んでも缶ビール一本くらいにして平穏に過ごしていたいと思っている。
出来るなら購入後まだクリアしていないウィッチャー3か、旧友から購入コードをプレゼントして貰ったシュタインズゲートの続きをプレイしたい。
風呂にだって浸かろう。そうしよう。
今日は寒い。
あなたも風呂に浸かるといい。
そうすればいい。
出歩くには寒すぎるよ。
では。