別れ②

飲みに出たのは間違いだった。

深酒しすぎて記憶を失い、予算の遥か上の金額を支払った記憶だけが蘇ってくる。二日酔いの中で目覚めた時、僕は知らない女の家で寝ていた。だんだんと昨日のことを思い出す。そうだ、昨晩3軒目に寄ったバーにまた戻って…頭が痛くて、これ以上思い出せない。いや、思い出したくない。財布の中身だって、死ぬまで見たくない。
横で、毛布に包まりながら裸の女が寝ている。僕も当然裸だ。女の股が痙攣させている光景がフラッシュバックする。

と、とにかく会社を休まなければ…
こういう時、ガラケーが見つからない。鞄の中にないのでポケットをまさぐる。あった。充電が切れていないことを願う。まだ切れていなかった。今何時だ。8:20!

横で眠り続ける女を気にしながら、派遣先に電話する。急いで家を出ても間に合わない。
「おはようございます。XXXXXのヤマオカです。ええ、本日風邪を引いたので休みます。あ、はい…ありがとうございます。はい、はい、では失礼します。すみませんで」会話の途中で電話を切られた気がした。

電話をする前から気付いていたが、歩美さんからの不在着信を見ると悪寒が走った。メールも受信しているが、開けたくない。平然を装いながら携帯を置いた。寝ていた女が目を覚まして、薄目でこちらを見ていた。

「おはよう」
「二日酔いだ」
「わたしも。飲みすぎたね」
僕は女の横に戻って横たわる。

時々起るこの現象はいったい何なのだろう。どうして僕は飲めばこうなってしまうのだろう。僕が飲めば、間違いなく、間違いが起こる。

「会社、休んじゃったよ」
「やっちゃったねぇ」
「頭、なでてよ」
「え、待って、サトシくんマザコン?」
サトシくん?僕は、ヒロシだ。ヤマオカヒロシ。
僕はわざわざ偽名を使って飲んだのか?
考えても分からないので、サトシのままでいこうと思った。このまま切り抜けられたら万々歳だ。そんなことより歩美さんへ連絡しなければならない。

「シャワー浴びてくるね」
女は裸のまま浴室に向かった。
僕は恐る恐る携帯電話を開けて、メールを読む。

「気付いたら連絡ください」AM6:48に受信。
気付いたから連絡しました~とか言っても通じないのだろうな…。女がシャワー浴びている間に電話するか…いや、会話が長引いたら女が浴び終えてしまう。ここは家を出るまで無視をしよう。

僕は掛布団の中に迷い込んだパンツを探す。なかなか見つからなかった。シャツはベッドの脇で湿ったまま放置されていた。これを再び着るのは嫌だが仕方がない。女の家に入る前に寄ったコンビニで買ったのであろうミネラルウォーターを開けてのむ。口の中の気持ち悪さを流し込みたかった。

浴室の扉が開く音が聞こえた。
「サトシくんも入る?」
僕は断れず、再び裸になり浴室に向かった。

              ○
歩美さんは、朝ごはんを用意してくれなくなった。朝食がないので会話もない。僕が出かける時も玄関まで来てくれない。アメリカン・ショートヘアーのルルだけが僕を遠くから見ている。

折り畳み自転車の傍にいるトラ猫は機嫌がとても悪そうだ。

歩美さんはどこにいたのか、何をしていたのか僕に聞かなかった。ただ、重い空気だけが張りつめていた。

それから暫く、まっすぐ家に帰られない日々が続いた。僕をサトシと呼ぶ女からの誘いを断れなかった。どうして僕は自分じゃ終わらせられないことを始めてしまうのだろう。その女と会うたびに出費が嵩む。この女は飲むのが好きだ。

ちくしょう、僕も僕で、どうして飲むとこんなにセックスしたくてどうしようもなくなるんだ。他の女に射精した分だけ別れの予感は強くなり、下ろした貯金の額だけ夢が遠のいていく。

              ○
亀裂は修繕されないまま僕と歩美さんは別れた。あたかも予定されていたかのように別れの手順を踏んだ。最後になって歩美さんは「さよなら」と言った。僕も「さよなら」と言った。

一人で住むには広すぎる部屋の中に取り残されたように座る僕。支えてくれた歩美さんはもういない。アメリカン・ショートヘアーのルルももういない。僕をサトシと呼ぶ女とは連絡を絶った。もっとはやくにすべきだったのに、僕は馬鹿だった。

僕はまた孤独になった。

別れの日から数週間、何もする気が起きなかった。
今朝は体調不良を訴えて会社を休んだ。最近、休みすぎている。酒の量も増えている気がする。会社に連絡した後また眠ろうとするとマンションのすぐ近くで水道工事が始まって眠れなくなった。なんてうるさい日だ、これなら会社に行っていたほうが良かった。眠れない。二日酔いが治まらない。

うなされながら、睡眠を邪魔されながら、昼過ぎまで眠った。うわすべりの夢の中で、知り合いの女を抱く夢を見た。最近は、出会う女全員を抱きたくて仕方がない。


あれから歩美さんの影を探し求めて3人の女を抱いた。飲めば飲むほど乾くように、抱けば抱くほど満たされない。しかし1人の女を忘れるために他にどうすればいいのか分からなかった。

もう起こしてくれる人も、ちゃんと出社できたのか連絡してくれる人はいない。眠りを可愛く妨げたルルだってもういない。

苦しい夢から目覚めるともう14:20だった。
ティファールにスイッチを入れ、カップラーメンを作って食べた。録画した番組を眺めていたらもう日が傾き始めているのに気が付いた。窓の外を眺める。先程まで晴れていたのに、曇り空になったと思えば今は雨が降っている。
ティファールに水を入れスイッチを押す。その間、コーヒーを作ろうとする。コーヒーミルの場所が分からない。歩美さんは持って行ってしまったのだろうか。棚を開け、別に探すわけでもなく眺めたまま立ち尽くす。

あのミルは、元々、僕の物だったっけ。僕の物だった気がするし、そうでなかった気がする。僕は、僕らがいつか別れるだなんて思ってなかったからそんなことどうでもよかった。

コーヒーミルよりも大事なものを僕は失った。まだ実感が湧かないけれど、その事実の方が辛いのだろう。もしかして棚の奥にあるかもしれないミルを諦めて僕はティファールのスイッチを切った。

部屋に戻り、ヘッドフォンを耳にあててJeff Buckley の Lover, You Should've Come Over を聴いた。

Sometimes a man gets carried away, when he feels like he should be having his fun
And much too blind to see the damage he's done
Sometimes a man must awake to find that really, he has no-one

人は時々、楽しさを求めるがあまり流されてしまう
どれほど傷を負ったか気付かないまま
いつか愛する人はどこにもいないと気付くために目覚める日がくるというのに



僕は服を着替え、近くのカフェに行った。傘はささなかった。ここは歩美さんと僕がよく通った所だ。僕は今、別れを確かめようとしている。注文したコーヒーが運ばれてくるまでとても暇だった。コーヒーが届いてからも暇だった。急いで飲む必要はないのだが、話し相手もないのでカップを口に運ぶ頻度が増えてしまう。
味わって飲まなければ、と思うがもう飲み干してしまった。

帰り道も退屈だった。誰もいないなら帰る必要がない気さえしてくる。

冷蔵庫を開け、缶ビールと缶ギネスを取った。そして1パイントグラスにビールを半分、ギネスを半分入れた。この飲み方は歩美さんに教えてもらった。以来、僕はこの飲み方が気に入っている。

ぐびっと音が出るような勢いで飲む。のどごしが良い。今日は酔うまで一人で飲もうと思う。
雨は暗いアスファルトを叩くように音を立てて降り続けている。

歩美さんは、雨の音を聞きながらお風呂に浸かっているのが好きだと言ったが、僕にはその気持ちが分からない。雨はいつも僕を苦しめる。
僕は残ったギネス、ビールを再び混ぜて飲む。少し抜けた炭酸は一杯目より美味しくないが、かといって飲まない理由にはならない。

ギネスとビールのカクテルを飲み干した後、ゲップともため息ともつかない音が出た。
まだ10時だ。眠るには早すぎる。2人でいる1時間は短いのに、1人でいる1時間は苦痛だ。


歩美さん。どうしてお酒はこんなに美味しくて、夜はとても淋しいのだろう。

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