喪失の友①
「お前は不幸が好きなんやろ」いつか川上がおれに言った。
おれと川上について、それはそれはみっともないことだと思うけど、おれたちが育った街のことから書いてみようと思う。
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ぼくたちが生まれ育った街はひどい所だった。大阪市西成区萩ノ茶屋駅周辺。じゃりんこチエの舞台になった街だと書けば分かってくれる人もいてるだろうか。
学校の脇にある公園ではホームレスがブルーシートを使って居住スペースを作り生活していた。生徒達への悪影響を考慮して窓ガラスにはスモーク処理を施したものが使われていた。夏は異臭がする。学校の周辺も、最寄り駅周辺も、通学路も、暑い日は小便の臭いがした。窓を開けられないからという理由で教室に空調設備が整った。子供の頃のぼくたちはクーラーの電源が入ると無邪気に喜んだ。
片親ばかりの生徒が多いために中学校には食堂も付いていた。どういうことかと言えば、単純に、弁当を用意してくれる親が少ない生徒ばかりだったからだ。
川上には父親がいなかった。ぼくには母親がいなかった。お互い、何故いないのか知らなかった。気付けばいなかったというか…違和感を覚えるより先に起こっていたことに、どうしてぼくら子供達がおかしいと気付けるだろう。
その当時のテレビドラマの登場人物はトラウマを背負った設定ばかりだった。親や恋人が殺されたとか、親に見捨てられたとか、貧乏だとか、そういうドラマばっかりだった。同情するなら金をくれ、という気力も起こらないぼくら西成の子供たちは、自分たちが持っている孤独感を言葉で説明できずにいた。
ぼくたちはそのドラマをあくまでドラマだと分かった上で見ていた。そう思う。現実には、現実のぼくたちのほうが息の詰まる設定ばかりだった。親がいないのが、親がヤクザだったりヤク中だったりアル中だったりするのが割と普通だった。
冬に凍死したホームレスを見たことがある。それも何度か見た。路上で寝ているのか死んでいるのか分からないホームレスたちはぼくらの日常に音もなく忍び寄り、ぼくらの未成熟な精神に何らかの影響を及ぼした。
ぼくらはこの街で子育てをしようと思って、子供たちの行く末を考えない親たちの存在を呪った。元気で育ってくれたらそれだけで良いと言う親たちに、元気が前提で育ってしまうぼくらの行き場のないもやもやは、当然言葉になる前に説明不可能なコンプレックスとして精神に宿る。
「これって、まだ大人になられへんおれらに対して暴力ちゃう?」川上は繊細だった。彼はよくぼくでは気付かないことに気付く。あまりに感じすぎたり、見えすぎたりしているように見えた。
食堂で素うどんを食べていると、素うどんに天かすを山盛り乗せた川上が言う。
「他校やったら、片親の生徒がいじめられるケースがあるんやって。」
真面目な顔で川上が言ってるのをよそにぼくには何故かそれが冗談に聞こえた。
「ほな、おれらの教室、いじめられっこばっかりになるよなぁ」笑いながら言う。川上も真面目な話のままでいたいわけじゃなかったのだろう。すぐに笑いながら返す。
「はは。そやな。この学校やったら両親おる奴らのほうが少ないねんから、逆にいじめたろか、両親おる奴ら。」
「そらええ考えちゃうか。家族でクリスマスパーティやる奴らとか、夏休みなったら家族で田舎帰る奴らとか、塾に行かせてもらってる奴ら、おれなんか腹立つ時あるもん」
「なぁ。今日ゲーセンいかへん?あの陣取りしてたら女が裸になっていくやつしたいねん」
「ええなぁ。行こうや。おれあれ一人でやるん嫌やねん。」
「ああ、分かるわ。ってかおれもそう思ってお前誘ってん。二人でやってたらエロいガキ二人がきゃいきゃい言ってるだけみたいに思われるやん?一人でやってたらほんまにムッツリやと思われるやろ」
「どっちも変わらんやろ!!」
二人はケタケタ笑って放課後を待った。
ぼくらが通っている学校は不良が多かったけど、ぼくらより3、4歳上の世代はもっとひどかったらしい。ぼくらが3、4年早く生まれていたらきっとゲームセンターで遊ぶよりも原付を盗んだり先生を病院送りにする遊びに巻き込まれていただろうと思う。
川上は格闘系のビデオゲームがぼくより上手だった。ぼくは川上が他校の連中に何連勝もしているのを隣で座って見ているのが好きだった。
よく揉め事で授業は止まったけど、それでもぼくらは比較的平和だったと思う。このまま少し大人しい中学生として卒業できたら、本当はもっと良かったと思うけど、川上とぼくが両親を持つ同級生をいじめるようになるまでそう時間が掛からなかった。
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