喪失の友④
「明日やろうはバカやろう!て言っとるやつらが特別なんかしているようには見えへんよなぁ兄弟。あいつら一体ナニ野郎なんやろか」川上が言う。
「ほんまやなぁ、あいつら一体ナニ野郎なんやろなぁ。ほんでそれ言ってる奴らは今日ナニやってるんやろなぁ」おれもそう続いた。おれたちがする会話は中学生の頃と変わらないなと思う。
川上が運転しているこの大きくて黒いBMWは川上のものだ。川上は、予想通りと言って良いのか分からないが立派なヤクザになっていた。容姿も上下ジャージで坊主頭だ。おれはジャケットにジーンズを着ていた。そのせいで二人は妙な対比を生んでいるが、川上がそれを気にしている様子はない。おれたちは和歌山に向かう車の中にいる。
「おれはナニ野郎になりたいとかそういうのはあらへんけどなぁ」川上が話を続ける。
「ほんま?おれはガキん頃は何かになりたい思ってたけど」
「たとえば?」
「せやなぁ。漫画家とか、ミュージシャンとか」
「空っぽやなぁ。おれはそういうのん考えへんかったわ。ただ、親父みたいなヤクザもんになるんかなぁ思ってたな。実際賭博場で働くキッカケくれたんも親父やったし」
そう言えば川上がヤクザになった直接の理由は知らなかったが、彼の父親がヤクザだったことを思い出してすぐに納得できた。
「おれはヤクザになることとかなんも考えてへんかった。ただ川上はヤクザになるやろなぁ思ってたけど」おれは西成の象徴であるヤクザという存在が心底嫌いなことをあえて言わなかった。
「お前は中3なってから勉強はじめたもんな。おれ高校行っときゃ良かったなぁて思ったわ」
「でもまぁ、おれは大学も行かへんかったし、結局今は町工場で働いてるし、行って良かったなぁって思ってあらへんよ」
「そうか?友達はできたやろ?」
「そらそっちでもできるやろ」
「ヤクザな世界の友達いうたら、けったいなもんやで」
「けったいなぁ。言うてもおれも友達おらへんし」それは実際そうだ。
「金があったら人生おもろいから金はなるべく持っときたいとは思っとるけど」
「ヤクザは儲かるで、と言いたいんかいな」おれはBMWの内ドアを小突きながら笑う。
こんな会話がしばらく続いた。
おれは川上と邂逅する以前もう川上とは会わないだろうと思っていた。つい数ヶ月前に川上と会いたいとは思ったが、実際に会うとは思っていなかったのだ。それがどういうわけか川上のほうからおれに連絡があった。旧友から連絡先を聞いて回っておれの電話番号を見つけだしたらしい。
川上からの電話があった時、彼はすぐにおれを旅行に誘った。長くは話さなかったがその口調からこれまでの人生が決して楽なもんじゃないのが理解できた。おれは川上がどのように変わったか知りたかった。同時におれも変わってしまったことを知ってほしいと思っていた。旅行に掛かる費用は全て川上持ちで構わない、ということだった。おれは疑わずに話に乗った。
「このBMWいくらしたん」
「まぁけっこうしたけどな。現金で買ったったで」
「ローン組まれへんかっただけやろ」
「そんなん言うなや。キャッシュで買うほうがよっぽどカッコええやろに」
「妬んどんねん、言わせろや」
おれたちは笑いながら会話を続けた。
そういえばおれは久しぶりに誰かと大阪弁で話している。地元の言葉で話さない人は大抵地元嫌いから来るものなのだそうだが、おれも例にならってそのような心理が働いているのだろう。西成出身であるのを隠し且つばれても馬鹿にされない方法はいくつかあるが、とりわけ簡単なのが方言的でなく丁寧で分かりやすい日本語を心がけることだ。川上の世界ではそういうことは考える必要もないのだろうが。
「金があっても仕事で認めてもらわれへんかったり、友達がおらんかったら寂寥感ってのはけっこうあるな、兄弟」
この最後に兄弟と付けるのがヤクザらしい。
「そうやな。ほんまそうやなぁ」おれは迷わず同意する。
「お前は自分が何者か知りたいて思ったことがあるか?」川上が言う。「俺はな、この世界が何なのかを考えてたわ。お前と会わへんくなってからずっとな」
「そうやな。確かにおれは自分が誰なのかとか考えてたなぁ」
「おれは自分のことはそう興味ないんや実は。ただのヤンキーからただのヤクザになった男や。それに疑問は一切あらへん。ただこの世界が何なのか知りたいと…いつの頃からやろ…たぶんガキの頃から思ってた気がするわ。いろんな社会の人間と話すことで社会の仕組みを知ろう思ってた。あの中学校は普通の学校のふりをして狂ってたからな。大人になってからやったら普通を知るには遅すぎる」
「普通の学校のふり…」なにか胸を締め付けるものがあった。
「ヤクザや言うてもヤクザは普段ヤクザって名乗らんからあんま知られるこたぁあらへん。おれはいろんな会社と関係を持った。いろんな会社があったよ。全部がこの社会の歯車であることには変わらんかったけどな」
「ヤクザであっても、町工場で働くおれであっても、自分を歯車のひとつと思うか。まぁ、そうか」おれも同意する。
「せやで。おれらも結局警察とは内々で上手くやっとんねん。外国人が簡単に入ってこられへんような歴史もある業界ほど、歯車やわ」
「言ってる意味はよくわからんけど理解はできる」おれは返答に困って適当に返した。
「でもまぁ今日はお前とそんなことを話したいわけやない」
この時、川上が急に本題に入ろうとしてるのが分かった。核心的な会話はいつでもどうでも良いような内容を入り口にする。
おれたちは今までの他愛ない会話を破るようにお互いの辛い過去を告白しあった。おれは女が逃げたこと、その女が身籠もっていたこと、街を出てもなにも変わらなかったこと、今まで女にしたひどいことを全部打ち明けた。たった数年がおれを変えてしまったことを話した。
川上のほうは最近、一人娘を死なせてしまったらしい。これが、おれに直接聞いてほしかったことなのだろう。何故亡くなったのか川上は話さなかった。おれも聞かなかった。
嫁はおれたちより二歳年下で同じ中学校の生徒だった。おれはその人と会ったことはないはずだな、と思いながら話を聞いた。
嫁とはこれからもやって行くつもりだが今はお互いに距離を置いているらしい。慰安のために旅行に出ようと思案していた時におれのことを思い出したらしい。お互い、過去を告白する相手として適していたのだろう。
いつのまにかCD再生が終わっていた。車内は静かになっていたがまた再生ボタンを押す気にならなかった。ただ風景が流れている。雲行きが怪しい。早ければ今日にも嵐が来るらしい。そう川上が呟いた。おれもそれは今朝の天気予報で知っていたが返事はしなかった。
「おれたち男は…いや、女もそうやと思うけど…二十代半ばなんて、ほとんど誰もが何者でもないわ。そう思わへんか兄弟。大人ぶるには未熟すぎるし子供ぶるには年を取りすぎてもうた。痛みや孤独の癒し方なんて分かってあらへん。もっとも、どれだけ年を食っても対処法なんてないんやろうけど。ただ…現実との折り合いをつけるだけなんやろうけど…」
おれたちは宿に着くまで無口になった。もうこれ以上話したくなかった。
宿は立派なところだった。貸切りの温泉が部屋にあった。部屋食で仲居を3人つけてブランド蟹を2枚食べた。川上は仲居にもかなり酒を飲ませた。昼間に車内で話していたような暗い話の欠片も出さなかった。その後全員でカラオケルームに移動し、そこでも飲み食いして遊んだ。仲居を帰らせた後は旅館お抱えのデリヘル嬢を呼んで性感マッサージを受けた。川上はこういう遊びを自然にするようになっていて、おれも流れのままにそれを楽しんだ。けっこうな金が掛かってるんだろうが川上はおれにバレないように全額支払った。
全てが終わりおれたちが眠る頃、外は強い雨が降っていた。入館し案内された時はかすかにみえた窓の向こうの海はもう暗闇の中見えない。激しい音が聞こえておれはなかなか眠れなかった。川上は布団に入るとすぐに眠ったらしい。
おれは冷蔵庫からビールを取り出し、見えない海を眺めながらそれをグラスに注いで飲んだ。そうしておれは、人というものを理解しようとすればするほど理解できないのは何故なのだろうと考えていた。他人なんてものは知れば知るほど冷たくなってしまう。傷つけない、傷つかないために嘘に頼り出したのはいつの頃からだろう。何にも代用不可能なかけがいのないものを探していたのは一体いつの時代の自分なのだろう?
明け方まで眠れなかった。うっすらと見えるようになった海は台風が打ち付けている。サーフィンをはじめる者が数人いた。きっと数時間経てばサーフィンをしている者が死んだというニュースが流れるだろう。サーファーが海で死ぬ。こんなに光栄なことはあるまい。
おれは女に刺されて死にたい。
コメント
コメントを投稿