「友達がほしい」
若者の本離れが加速している。若者の映画離れが加速している。若者の車離れが加速している。若者の酒離れが加速している。若者のテレビ離れが加速している。
そういうマスコミが経済悪化を憂いて書くような「若者の○○離れが加速している」は、実は「若者から金が離れて行っている」と表現すれば問題の根底に近づくかと思う。
若者の恋愛離れが加速している。若者のセックス離れが加速している。若者の友情離れが加速している。若者の愛情離れが加速している。若者のコミュニケーション離れが加速している。
ぼくが辛いと感じるのはむしろこのように不経済な「若者の○○離れが加速している」に対してだ。縮小していく経済の中で「行く宛のない若者の個性」はどのように補完されるべきか知りたい。
表現方法を借りさせて頂こうと思う。
いま、日本人の現実離れが加速している。
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このようなことを書かねばならぬ心理状態の時は、友達が欲しいと思う。TwitterのTLを眺めているとあるツィートが目にとまった。
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@xxxxxxxx
ブログを書こう。同人を出そう。今ならkindleみたいな電子書籍という手もある。発表すれば誰かに響く。もし承認欲求だけで「書きたい」というのでなければ、まず書こう。→:本を書きたいというあなたへのメッセージ URL:xxxxxxx
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ほお。面倒なのでURLは参照しないがきっとこれは誰かへのメッセージなのだろう。人に文章を勧めるのは勇気あることだ。きっと同士を求める気高い方でもあるのだろう。
しかし、最後の『もし承認欲求だけで「書きたい」というのでなければ、まず書こう。』は、書き手らしからぬ表現に思えた。
人は誰でも、認められたいと願って良いし、それは許されるはずだ。どうしてその人間の基本的な性質を否定するのだろう。
無礼も承知…とは知りながら返事をだす。
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@marlow_0429
概ね賛成ですが一点。承認欲求は人間の基本的性質ですから、それは否定せずに文芸を勧める方が皆様書きやすくなるのでは RT 以下引用
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無礼も承知…に気付いたのなら、やはりかしこまって名乗り、指摘する許可を受けてから書けば良かった。返事は以下のようなものであった。
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@xxxxxxxx
ぶっちゃけ、書く理由は書く側にあって、書く自由も日本では誰にでも認められているのですから、これ以上「書きやすさ」をどうして提供しなければならないのか、僕にはわからないですね。
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憚らずに不快感を与えてしまった結果がこれだ。これでは建設的も非建設的も何ひとつない。ぼくは「理解には段階がある」と常々思っているが、どうして通りすがりのこの方にこういうことをしてしまったのだろうか暫くぼんやりした。
話が逸れるが、ぼくは、ぼくに敵対している人たちが誹謗中傷して回っているのを黙って見届けている。その人たちはそうせざるを得ない魂を所有しているのだ。それはもうぼくがどうこうすれば癒されるものではない。認めてくれない承認欲求は人間に根強いインフェリオリティ・コンプレックスを抱かせる。或いは個性を根こそぎ持って行く。
それとは他にこんな例がある。ぼくの友達に「おれは絵描きだ」と言っている人がいる。絵も数点売れたことがあるらしい。ぼくも実際それを観たことがある。なかなか良い絵だった。どこで君の作品を見れるのか、画廊が入っているのか聞いてみても様々な理由があって教えてくれない。
絵だけでは生きていけないので嫌な仕事も引き受けるのだそうだ。ぼくはその「嫌な仕事」ってのは絵を描く事とあまり関係ないのだろうと思った。生活費を賄えるほど売れる絵にはどうしても思えなかったからだ。けれどきっと観る人が観ればさぞかし高価で買い取ってくれるのだろう。
その人は絵描きである自分に満足していて幸せそうだ。だからその人が絵だけで生きていけているかどうかなんて問題にはならない。フランス人の作家もそのほとんどは別に仕事を持っているし、作家が創作だけで生きていかねばならない理由はない。
「プロ」というものの定義にかなり高い要求をだす人がいるのも知っているが、内部評価と外部評価が多少ずれていても批判するべきではない。幸せそうならその人はそれで良いのだ。
話を戻す。上記の魂たちは許せる。乃至は許そうとしているのに、承認欲求への感想に関しては何も触れられないこの方の力のなさを感じた時、単にやるせなさを覚えた。
- この方も、もしや、思いやりが必要な方なのではないだろうか -
この状況でぼくの発言を取り下げるにはあまりにも極まりが悪い。かと言って無法の回答をほったらかしに出来るほどぼくは大人ではない。そもそもぼくが大人ならスルーしていただろう。
ぼくはコミュニケーション能力のなかで最も悪手とされる「他人に期待する・試す」という手段を取った。これはいつでもお別れ間際の男女が使う。
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@marlow_0429
当然、日本はその自由権を保証しています。ではなぜあえて、この孤独群であるツィッターに向け文を書くよう勧めたのですか? RT 以下引用
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ぼくはSNS等に触れ続ける人間について知っていることがある。単に、みんな寂しがり屋だということ。だから孤独拡散装置であるツィッターは日本で大流行している。他人が自分より優れている気がする人間はツィッター、フェイスブック、ミクシーを徘徊し続ける。劣等感を刺激しシャドウボクシングをさせるためにこのアプリ達は存在している。
当然ぼくも寂しがり屋で実際孤独だ。以前エントリーした「深い夜」の草稿を頂いたAさん以外に同士らしい方はいない。
才あるブロガー同士がテーマを揃え論議する…ぼくにもそんな同士が欲しいと思っていた。けれど、この方はきっと期待には応えてくれないだろう。それ以前に前提条件が間違っている気がしてきた。あれ?この方はブロガーではないのかも知れない。この人が文章を書く人だなんていつ思い始めていたのだろう。ぼくと同じ虚構に立ち向かう者と何故見なしたのだろう。
今日は暇だった。本当に暇だった。肉体的にも精神的にも暇で暇で仕方なかった。夜が来てようやく忙しくなるまで、ずっと友達が欲しいなぁと思っていた。だから通りすがりのTLに噛みついてしまったのか、な…?
返事が来たので読む。
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@xxxxxxxx
僕のツィートは「書きたいなら書けばいい」という以上でも以下でもないですよ。
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君は、クワトロ・バジーナか。
「それ以上でもそれ以下でもない」と書いてしまったら何も書いてないのと一緒じゃないか。
ビールを飲みながら今日もインターネットはあまりに広くそして寂しいなと思った。もう一杯ひっかけて帰ろうと思う。おやすみなさい。
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