きっと、寂しくない夜を探す
節分の日は疲れた疲れたと言いながら常夜鍋なるものを食べて楽しんだ。日本酒が大量に入った非常に美味しい鍋だった。コストコで購入しておいた白ワインも十分に美味しかった。
みんなで西南西を向き恵方巻きを食べたが、なんと生涯口にせぬと決めていた鰻が入っていて驚いた。気付いたのは「鰻が入っているよ」と言われた後でもう遅かった。一旦口に入れたものはもう出せない。
出して鰻の絶滅を避けられるわけではない。
「え?大丈夫なの?」と言われたが僕は好き嫌いで鰻を食べないわけではない。愛しているからこそ食べないのだ。
「もう、仕方ない」と言って最後まで食べた。僕の鰻食べない宣言を知っていた人は小さく笑った。
すり減っていた神経に、持つべきものは何とやら。
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2月4日は自分のバーでラジオ収録なるものをした。緊張をほぐすために酒を飲んでみたが、やはり疲れがたまっていたのか、酔えたわけでもなく疲れがどっと押し寄せただけだった。特別なことを言えたわけでもなく、自然に話せたわけではない。僕のような素人には慣れが必要なのだ、きっと。編集してどこかへ公表したらまた第二弾を収録したく思う。
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2月5日夜は外食しに鉄板焼きにいった。はじめて行った所だったが美味しかった。風邪が悪化せぬよう(咳をしている)飲み歩かず早めに帰宅。
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粘着気質はお断りだ、と書いていても粘着気質の人には伝わらない。未だに自己責任論者からコメントが寄せられている。これについては「自己責任だと切り捨てることで自分とは無関係」を主張しているだけだと僕はもう書いた。中立の立場を持つものが間にいなければ議論は成り立たない、とも書いた。
当初は彼らを馬鹿にしてはいけないと思いコメントを真面目に返した。切り捨てるのはいつだって苦手だ。話し合えるなら話し合いたいと思う。
彼らに自己責任論を持てるだけの根拠があるのか、またその方々の誠実さや知性を知るためにいくつかやりとりしたが、どうも彼らに議論できるほどの情報や根拠、信念があるわけではないと判断した。最後あたり彼らは自己責任論から逃げて僕を「憲法九条護憲派」と呼び、他に揺さぶりをかけることでしか対応できなくなった。これはもう付き合っていた自分が馬鹿だったと思うことにして返事は今後出さぬことにする。
きっと皆が彼らの矯正を諦めたので彼らは自分が正義と信じ込むようになったのだろう。
「正義感が歪んでいる」とまで書かれたが、正義、正義ねぇ…本当の正義など、どこにあるのか僕は知らない。
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明け方、ふと目が覚めたのでこんなことを思っていた。
全ての人間は弱く、孤独で、理解しあえない。
自分一人で生きていける世の中に従って、自分一人で生きていき、自分は独立していると勘違いしている人がいる。しかしそれは独立ではない。孤立だ。
人はたくさんの人を少しずつ助け、少しずつ助けてもらう。
会話の好きな人は人と話すことで自分と出会う。
文学青年は本を読むことで他人の人生を知る。
写真を撮るものは一瞬の儚さを知り、絵を描くものは空白の恐怖を知る。
子を育てるものは命の有り難さを知り、大切な子を失ったものは悲しみが海より深いと知る。
寄り添う気持ちだけが、僕らが知らぬ間に受けた傷を癒す。皆そうであってほしい。
自分は傷ついたからといって誰かを傷つけていいなどとは思わない。
そう巡らせた後もう一度眠ろうと目を閉じて暫くすると、まるで太陽を直視しているのではないかと思うほど左瞼の向こう側が輝いた。夢か、もしくは窓から光源が入ったのかと目を開けたがカーテンは閉め切っており部屋の中は真っ暗だった。
今晩は、どんな夜がくるだろう。どんな夜が待っているだろう。
僕はきっと、寂しくない夜を探す。
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