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朝から咳込む。夜になると一層激しくなる。2年に一度くらいこの状態になっている気がする。熱が引いた今も咳がとまらぬので病院へいくと気管喘息と診断された。
体が弱いほうが文学青年的というイメージがあって、そういう時ほどベッドの上での読書が捗りブログを書こうという気になる。少し疲れているほうが自分の本分を書き出しやすくなるのだろう。
とある詩人の文学仲間は会う度いつも「いかに体調不良か」を説明するそうである。とんだ笑い話だなぁと思うが、気持ちは分かる。
この時期の朝、自分の血痰を見ると梶井基次郎のとある短編を思い出す。彼も体が弱かった。そのことをよく書いていた。彼は生前「作家は結核で死ぬべきだ」のようなことをよく言っていたそうだ。そして彼は願い通り結核で死んだ。
願った通りの死に様で息を引き取れたのだから幸せだっただろう。
彼の作品が面白かったかどうか実はよく分からないでいる。
心に染みるような表現は上手いなと思うがあの手のものは後になって何が書かれていたか思い出せないものだ。思い出せないからといって再読する気も今はしない。
冬の太陽の光は街を静かにする力があるようで、今日は一層街並みが落ち着いて見える。
今月は友人Tと北海道に行くのでそれまでに完治させなければと思う。とにかく精のつくものを食べて、早く体力を戻そう。
○
時事に触れたエントリーをしたためにアクセス数が増えていた。そういうものでアクセスを稼ぐのは予想していなかったが読んで頂けたのは嬉しいことだ。自己責任論者が絡んできたのも不可避だったと思うことにする。
話が済んだ今、向こうは向こうで未だ間違っていないと信じているようだし、僕の意見も変わらなかったので論議と言えるものは一切成り立っていなかったように思う。
根拠があるなら聞かねばならぬと思い一通り言い分を聞いたが期待されるものもなく、結局時間の無駄であった。
時間の無駄だったという記録もブログとして残しておきたい。
数日前、ネット右翼の思考回路がどのようなものか気になったので自己責任論や他国への誹謗中傷発言とみられる発言が多いアカウントをざっとみることにした。
結果からいうと彼らは単に自尊自大であるという印象を受けた。それに見合う根拠や語彙力があれば少しは納得いったはずだが、どうも自分の空っぽさ、あてのない恨み、これら国を掲げることで埋めて自分を正当化しているように見える。
自分を正当化し続けることを危険とする察知能力も欠けている。
人質事件に触れたエントリーをした際に絡んできたネット右翼(もう、そう呼ぶことにした)は残念ながら自分のことをネット右翼とは思っていないらしく、一番あってはならぬものを見た気もする。
自分とネトウヨと一緒にするなと言われたが、ネット上であれだけ産経新聞に同調して韓国批判してたらネット右翼に間違われて仕方ないんじゃ、ないかなぁ…と思う。
今の日本は戦前によく似ているなどと言われている。当時の日本人も一部を除き自分たちが右傾化しているのに気付いていなかったようなので自分を客観的に捉えるというのはそれほどまでに難しいことなのだ。
もちろん自己責任論者=ネット右翼ではないだろう。
ただ、いくら絡んでこられてもどのみち僕に彼らは救えない。
そう遠くない未来に「あの頃は何でも言えた」という時代がやってくる。
その日が今日のように寒くなければ良いなと思う。
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