非情な世界

14年7月21日にエントリーした「パレスチナ・ガザ 雑感と募金協力のお願い」から、先の湯川遙奈さん後藤健二さん殺害まで心苦しい日々を過ごした。まだこの事件は収束したとは到底言えないが、国民にとっては最悪の悲しみを迎えたとしてこのエントリーを哀悼の意としたく思う。

心苦しいと書いておきながら僕はこの数ヶ月間、特別な働きをしたわけではない。ブログで訴えるわけでもなく、何もしなかった。僕は世俗で酒を飲み女達と揉め男達と敵対し、貧乏多忙を続けていた。

僕が去年出来たのは僅かな金の送金だけだった。金がどこに届くのかも分からない、ただの祈りみたいな作業だった。誇れる働きというものではない。ただバーの閉店作業中や食事の最中など、楽しさと楽しさの間にふいにやってくる本件への想起が、この世界が僕をなるべく楽しませないように作られてあるように感じていた。

日本国民は隣国に対してなら過敏に反応するのに、遠い地のテロ行為には無関心であった。両名の殺害まで、日本国民が現実感もなく生活しているのも僕の目には悲しく映った。

地続きの悲しみを、まるで昨日起こった事件のように捉えているのも寂しく思う。

未だ死者が増え続けるなかで僕ができることはなんだろう。僕には何も分からない。分かっているのは一つだけだ。

神が救わなかったのではない。我々が救わなかった。

  ○

「みんなに迷惑をかけたことを謝罪すべき」
「後藤さんは在日かもしれない」

とある知り合いのバーでは一人の中年男性がこの事件に対し自己責任論を展開していた。僕はバーでの行儀として最初から最後まで黙り、その内心では深く傷つき、帰宅中路上に腰を下ろし暫く黙っていた。

思想のないものはインターネットで拾った言葉で心を満たし、人前で発言するまでに至る。ネットは心の闇につけいる物質で作られているみたいだ。
今では40代の国民までもネトウヨ的であるからこの世界はどうしようもないと言わざるを得ない。


確かに一元化できないこの世界で恣意的な解釈に落ちることを罪だとは言わない。ただ、想像力の欠如や知的負荷から逃れることを善と決して言えないはずだ。

僕も個人主義であるからある程度は自己責任と言う立場を持つが、自己責任を他人に押しつけてしまったらどうなると思う?それは自己責任とはほど遠いものになる。



想像してほしい…そうあえて書き続ける。

あなたの母が通り魔に会って死んだ。あなたは、そこを歩いていた母が悪いと言えるか?そこは治安が悪いから一人で歩いてはいけない場所であると看板がしてあったとして、それでも立ち寄った母を責められるか?

あなたの母を庇おうとして死んだ人があったとする。あなたは感謝と正義にありがとうを言わず、そこでも自己責任論を展開できるか?


人質殺害の本件に関しては、救出の可能性は多少なりともあった。あるなら、人として最善を尽くすべきだったと僕は思う。身代金は新たなテロを生むというのも確かにある。国際社会もこれを許さない。が、他の件に比べ身代金目的だとはっきりしていた以上、対応は他にあったはずだ。金は命よりも重いなどと決して言ってはいけない。

日本に真のジャーナリズムがあるかは今はさておき、ジャーナリズムは救済後にでも対策を練られたとして厳しく国を批判すべきである。

事件後、いざ蓋を開ければ日本はイスラム国と交渉する気は全くなかったとのことだ。国民の父なる政府は肉親を殺されたあなたの肩を決して抱かない。死の尊厳すら自己責任の名の下に蹂躙される。

そしてあなたは今、政府から、最初から母を助けるつもりはなかったと言われたばかりだ。今のあなたは何を思う?


事件と例え話とが支離滅裂なのは私の不足であるが、他に適した例えがあるはずだ。あなたにそれを探してほしい。生活レベルで、もっと身近に感じられる現実がきっとあるはずだ。これをさせるのが作家の使命であるとも信じるが、僕にはそれが出来る力がない。
動揺しすぎているし、いくら落ち着いても書けないだろう。ただただ非力な自分と非情な世界を想って黙するばかりである。

かの地で亡くなったの何も日本人だけではない。もう多くの人がそこに生まれ育ったというだけで巻き込まれすぎた。僕はこれからも、遠い地で無念に殺害されていく人たちを想って眠るのかと思い戦慄しながらベッドに向かう。

非情な世界にも明日はやってくる。僕は僕を生きねばならない。

悪夢のない世界を願って、結論もなくエントリーを終了するつもりだ。


最後に一言書き添える。

湯川遙奈さん、後藤健二さん、そして空爆により命を落とした人々よ、出会う日は一度もなく、けれど、さようなら。
苦しみは忘れない。残された学びも忘れない。自己責任の結果として帰らぬ人となったあなた方に、もう責任を取る方法はない。

今は出来ることなど何もなくとも、いつか安らかに眠れる日があなた方に、そして皆に等しく訪れますように。

さようなら。

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