遊郭跡の幻覚 ①
自分について書こうとしても虚勢は張れない。これといって輝かしい経歴はない。大阪のある工業高等学校が最終学歴で、卒業後は小さいプールバーでビリヤードのインストラクターをしていた。
その後の人生を語るのにどんな意味があるのか分からない。
二十五歳の春に結婚した。妻とは当時勤めていた広告代理店で出会った。
三十五歳で離婚した。十年の結婚生活に終止符を打った原因は、自分が統合失調症になったためだ。二人はこの困難を越えられなかった。ある休日、妻と街を歩いていると空が真っ赤に染まっていった。恐怖心で道端に膝をついた。呻く自分を見て、妻は平和な日常の終わりを感じていたと思う。
二人の未来のために苦労と努力を続けたが自分達は疲弊し、摩耗していった。ついに力尽き妻に離婚するように求めた時、妻は「ごめんなさい」とだけ言って泣いた。抱き合って泣いた。
離婚してから起こった苦しい日々をどのように振り返っていいのか未だ分からない。離婚してから二十年が過ぎて自分は五十五歳になった。表情には老いが見えはじめ、髪のほとんどが白くなった。
自分は今、一人酒をやりながら妻を思い出している。生活保護を受けて一人暮らしを始めてからは、あまり派手に遊ぼうという気になれず、家から出ずに過ごす日々だ。はじまった隠居生活はいつまで続くのか分からない。先月誕生日を迎えたが特になにも変わらない日常を過ごした。
最近は昔の出来事を思い出しては楽しむようになった。そして気まぐれに、十八歳の頃に付き合った彼女について思い出して遊んだ。このような遊び方は、小中学生の時分に空想に浸って時間を過ごしていた、あの時間を持て余していた頃のものと似ている。絵空事はもう思い浮かばないから過去の思い出を用いて遊ぶ。
それとも酒に過去の味でも覚えたのだろうか。
今は思い出せるだけ思い出して遊びたい。
当時付き合っていた彼女の名はトキエといった。教育大学に通っていて、性格が良く気が利き、肌の色が白く、贅肉のない体つきをしていた。目つきが鋭く唇は薄かった。セックスを終えた後何も話さず横座するトキエが好きだった。
彼女は奨学金やそれらに関係している助成金を受けていたのできっと成績が良かったのだろう。何度か彼女が手にしている教科書を覗き込んだことがあるが、書かれているものを読んでも内容は一切理解できなかった。また理解しようともしなかった。理解できない自分に対し、彼女はどう思っていたのだろう。今思えばきっとレポートの提出をせねばならない期間は、自分に構っているわけにはいかないので、それなり自身で配慮して、一人の時間を作っていたのだろうと思う。
彼女は芸術を専攻していた。家には200号の大きなキャンバスが置かれていて、自分は彼女が描いているのをよく後ろから何も言わず眺めていた。活動的な女で、よく
グループ展や個展を開いていた。
彼女が手に取る絵の具、描く絵、その絵の理由、全てが一枚の絵画のように記憶の壁に掛かっている。
彼女は芸術に触れながら美術の先生になろうと前進していた。自分はその道を邪魔する馬鹿な男だった。
彼女にぶら下がっていられたらきっと何もせずとも満足して今日を生きているに違いない。別れてしまったが、理由は明白だった。好きだと思う一方で、関係に見合う努力はせず、進歩がなかった。要するに金銭的にも助けてあげられなかったのだ。こんな男の成長を誰が待ってくれるというの
だろう。自分と別れたいと言った彼女の決断に間違はない。別れて良かったのだ。
別れてから長い間喪失感に打ちのめされ、無知や世間知らずが怖くなり、逃げる思いで沖縄に移り住んだ。それは二十歳の頃。八ヶ月ほど石垣島に住んだ。箸の持ち方が悪い自分に彼女はよく「そんなんじゃ世間に笑われるから直したほうがええよ」と言っていた。自分は沖縄に住んでいる間、箸を持つときその言葉をよく思い出した。
未だに直していない箸の持ち方の悪さのために食べ物を口元まで運んで口に入る前に落としてしまう。テーブルや服を汚してしまうのでその様を他人に見られる
のが嫌だ。知り合って浅い人と外食に行くのも避けている。もっともそのような機会は近年減って、生活保護を受ける様になってからは一度もない。
今思えば、忠告をくれたその彼女も世間だったのだからすぐに直すべきだったのだ。
世間知らずを克服しようと思ったこともあるが、何を知らないのかも分からない状態のまま生きてきた。世間一般に対して、どのような軽蔑を受けているのだろうと思うと怖かった。おそらくあの頃の自分と今の自分を比較しても外見的な老い以外はさほど変化は見られないと思う。もっと社会にもまれ、反省し、向上心を
持てば良かったのか?
あまりに全てが面倒だった。
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