ブロガーは描かない
恋人たちが"本当に"出会えるのはサヨナラを告げたずっと後だから、僕らは孤独を背負って孤独なまま死んでいく。
"愛してる"は永遠に届かない。
いっそ何処へも届かない想いが愛であれば良いのにと思う。
昨晩、酔って道端で寝ている男を二人も介抱した。年の瀬だ。一人目は嘔吐しながら倒れていた。二人目は自転車に乗ろうとして転けたか何かしてそのまま寝ていた。
僕も酔っていたが、二人目を無事に見届けた頃にはすっかり醒めてしまっていた。空を見上げた。あまりに澄んでいるように思えた。海を眺めているようだった。
ミネラルウォーターのペットボトル2本このたった数百円くらいで、僕は、何の罪滅ぼしをしてるのだろう。
○
数週間前とある映画を観た。その映画は素晴らしく、受けた感動の多さに何も言えない。しかし作品について語るのは割愛する。
作中、重要なシーンでニュートン第三の法則(作用反作用の法則)が使われていた。
ニュートン第三の法則とは二つの質点が相互作用する場合、第一の質点が第二の質点に作用する力は第二の質点が第一の質点に作用する力と等しい大きさで向きは反対となる、と言ったものだ。
簡単に言うなら「どこかへ進んでいきたければ何かを置いて行かねばならない」といったところか。
この法則は元々知っていたものだが用いられたのが大事なシーンだったこともあり心中を往来した。
あれから数日して、日常の営みの最中などにあの映画を振り返りながら僕はこんなふうに思った。ニュートン第三の法則…これが僕たち非科学的な社会生活にも適用されるのであれば、僕らが置いていっているものは何なのだろう。やはり過去だろうか。それならば、今更改めて書くまでもない。
会えなくなった友のことも、故郷の懐かしい景色も、両親の暖かかった優しさも、恋人と過ごした時間も、我々はその全て置いてこなければこの瞬間へはやってこれなかったのだろう。
青春時代には全てが新鮮だった。けれど今は自分が誰を好きだったかさえも忘れてしまった。女だってもう僕のことを覚えてはいまい。
信じられるものは何かと思い冷蔵庫を開けた。
そしてビール缶を取り出し、これだけ信じておけば良いと思いながら開けた。
僕らの忘却機能はどこかへ進むためにあってほしいと思う。
恋愛が難しいのもまた自然淘汰が故だとしたら、人間としての弱さですら進化に必要なのだろう。そう思わずにはいられない。
僕は誰かを傷つけて、あまりに忘れてきた。これがどこかへ進むためのものとは思えないが人を傷つけることも恨まれることも全て進化に必要だったはずだ、そう願わなければ明日がやってこない。
弱さと孤独が同居して相容れない時、僕は夜をどのように過ごすべきなのだろうか。根拠のない自信をいかようにすれば手に入れられるのだろうか。
弱さがあって、戸惑い生きる。
今、自分探しをしていた時代は終わった。
自分だけを愛していた時代は終わったと思う。
いつかこのブログにも終わりを告げ、ブログを書いていた時代もあった、そう述べる日も来るだろうか。自分と向き合い、破綻を納め、この若さにサヨナラを告げる日が来るのだろうか。
今はまだ分からない。いつ分かるかも知れないまま時を過ごす。
2014年よ永遠にさよなら。
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