僕がブログを書くために
生きている戸惑いと苦しみが全身を巡る。脈打っている自分が悲しい。
堕ちていく自分とそれではいけないと励む自分との不断の戦いに安息はない。
一体、生き甲斐とは何なのだろう。色々と読んでは行動して探しているがどこにも納得いくことが記されていない。生きて死んでいくだけで良いのなら、それは僕にだって、誰にだってできる話だ。
求道してもしなくても人は皆いずれ死ぬ。ならば好き勝手に生きていたい。ただそうするには人生はあまりに後ろめたい。
人を傷つけ、それに気付いて困惑し、反省してそのことすら忘れた頃にまた繰り返す、すれっからしで不誠実な男にすっかりなってしまった僕が今更正しい道を歩こうだなんて不可能なのだろうか。
生きる苦しさに身を浸しながら、眠りの最中に見た夢はいつもフランシス・ベーコンの描いた絵のようだ。
酒を飲めば楽しくなる。女を抱けばせめて自分だけは快楽に浸れる。僕が断言できるのはこんなありきたりなことだけだ。僕は女を傷つけて遊ぶ。昔から女の涙を見る度、その景色の中に永遠を見いだしてきた。
女を傷つけている時、僕は嬉しくて、この瞬間を感じるためなら生きる価値があると思う。
先日、とある女から「あなたが女に対して不誠実なのはもう病気の域」と言われた。誰の言葉もあまり聞かない僕だが何故だかそれは気に入った。僕は、僕を苦しめてくれる言葉が好きなのだ。
そうか、病気か。僕はすっかり太宰治著人間失格の主人公になった気で焼酎水割りを飲んだ。硝子の破片が脳内に広がるような酔い方をするまでその夜は飲んだ。
あてもなくさまよい歩いた。よほど言われたくない図星だったのだろう。
僕にだって女も酒もない世界に行きたい夜がある。
酔い覚めの朝に部屋を荒らしているとSIONの「夜しか泳げない」というCDアルバムが出てきた。まだ持っていたのかと思いながらディスクを取り出し12号室という曲を再生させた。何年経っても色あせない、純粋な悲しみに包まれている美しい曲だった。初めて聴いたのは14,15歳の頃だったかと思う。あれから15年近くたった。当時の僕は、この詩に登場する足のない美しい女性と、皆と違うと呼ばれた男の子を思っては悲しみに暮れていた。
ヘッドフォンに手を添えて瑠璃色に光る窓からずっと遠くを見た。
世界が悲しいもので出来ていてほしいと願う。
そうでなければ隠せない悲しみがある。
世界が儚いもので出来ていてほしいと願う。
僕がブログを書くために。
コメント
コメントを投稿