失恋する度に

失恋する度に、もう誰も愛したくないと思ってしまう。そう言いながら結局恋愛を繰り返してきた。若さという力がそれをさせてきた。どうしようもないほど月並みな言い訳。それ以外に説明できる言葉は知らない。

繁栄し続ける種、人間として男子はいつか童貞を捨て、女子は処女を捨てる。貞操を捨てるということは遠くから愛するという手段を捨てることで、捨てた側の人間は最上の愛とは何なのか知ろうとする欲求が止まらなくなる。

恋の予感はすぐに激情へと変わる。終わらない欲望が止められない破局へと発展する。


あの頃、壊れるほど恋がしたかった。
実際に壊れてしまうまで恋がしたかった。
誰でも良い。愛してると言える人が欲しかった。

壊れてしまう恋愛がしたかっただけなのだから、失恋を得るために恋をしてきたと言える。失恋以外に痛みを教えてくれる現象は私が過ごしている現実の中では少ない。

恋愛は、別れるまでの行程も含む。その意味での愛は、別離後にしか見つけられない。コンビニで買えるほどの愛が、その内容について誰一人説明できないのは、愛が言葉の外にある狂気や激情という流れの中で言葉すら持つこともなく漂っているためだ。


何故人は恋をするのか。
何故恋をしなければならないのか。
愛を求めれば求めるほど、愛が何なのか分からなくなっていく。

喘ぎ声を混じらせながら「愛している」と囁き合う恋人達。どうして、私たちはいつか終わりがくる行為に永遠を探すのだろう。

そうして失恋する度、誰にも期待を抱かなくなっていく。期待というのはそのまま見返りを求める行為なのだ。期待などしたから悲しみに出会う。いつも、いつもそうだった。
人間なんかを愛するから傷つく。返事のないアニメや漫画やインターネットを愛し続けられたら、随分楽になるはずだと思う。私はどうして生きている人間の体に愛を探してしまうのだろう。

もう二度と恋などしたくない。恋それ自体、優しいものじゃない。なのにどうして私は失恋する度にまた新たな恋愛を望んでしまうのだろう。
私は恋愛によって傷ついたというのに、どうして恋愛によって癒されると信じているのだろう。
失恋する度に、どうしてこんな思いしなければならないのか。
誰かの代用品として、私は愛され、愛してきた。
暇つぶしとして弄ばれてきた私の私だけの純真は海をさまようメッセージボトルのようだ。


また、どうして、全て諦めた頃に恋はやってくるのだろう。 


私が「愛とは与えること」と信じていた頃、この世界はあまりに窮屈だった。私が言葉や正義感で人を変えられると信じていた頃でもあった。

愛とは与えること。言葉で変えれる人生がある。そういう思い上がりが、私に深い傷を残した。今でも許すことができない恋愛がある。どうしても忘れることができない。
あれは破滅的で壮絶な恋愛だった。そういうものを私は望んでいたが、空想上にそれを求めているだけに留まっておけばよかった。私は間違っていた。

恋は孤独を埋めるためだけにある。孤独を癒すために恋をすることしかできない人間はあまりに多い。あの頃、私もそうだった。


ある日、私はとある人から孤独を癒す手段を奪った。
そうするとその人はまもなく死んだ。

死者が出ると同時に私に地獄が始まった。友が死に、仕事は失い、家族は離れ、金も、時間も失った。私が受けた罪は、私という存在があまりに無力であることを教えた。

得たものが一つだけあるとすれば、それは「人は誰とも何も共有できない」という現実だった。それしか手に入らなかった。紛れもなく献身的な愛は、喰い尽くされて死んだ。

私はそれを一度でも望んだか?
私が真実だけを書けるブロガーであったなら、私はそれを望んでいたはずだ。

幸せでさえ望まなければ得られない。

私は壊れたかったのだから、ああ、壊れてよかった、そんな願い、私はこれから二度と優しい恋愛を求めないだろう。

では、私は、望んだものを手に入れたと言えるか?愛した人に裏切られ、文字通り全て失った私が、これを機に何をどう成長できるというのか?雨に打たれながら叫んで私は、認識が決して成長でないことを祈っていた。

失恋する度に私は私だけを愛し、癒し続けられたらと嘆く。

永遠に私は私だけを愛し続け、癒し続け、私だけの幸福で満たし続けられたらと願う。

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