4月の光
春の日溜まりで詩を書いていた。紙やペンは持っていなかった。あえて、持ち合わせていなかった。形而下の存在を持たないほうが美しいものが書けると信じているためだ。
以降私から述べられる言葉は虚栄から借りたもので、真実を成しているあらゆる内包からほど遠い活字に過ぎない。私は愚かな存在である。誰かを傷つけねば癒されぬ傷があるし、傷つけたことを嘆いて自己憐憫に陥る気質を持っている。だから嘘から言葉を借りねば到底人間の振りをして文章を書けない。
4月の光が目の前の木や、コーヒーや、持ち歩いている小説を照らしていた。私が、現実は冷酷なものだと知って詩を書くようになったのは何時の頃からだろうか。小説を読むようになったのは何時の頃だろうか。漫画や、映画や、音楽にしか信頼を置かなくなったのは何時の頃からだろうか。木漏れ日が揺れてガラスと同じ本質を持った私の心に入り込んでは乱反射を起こしている。
私の体はこの4月で29歳を迎えるようだ。男という劣性の運命を背負っている。陰と陽が必ず対を成すようにあらゆる喜びが悲しみを伴っており、私の不幸せは幸せを含んでいる。私の体が大事にしていた記憶が優しく頭を撫で、眠りに落ちた子からそっと離れる母のように去っていった。私は悲しむことも出来ず優しい幻覚に落ちていく。
青い空と太陽光が無機質な建物をその性質よりずっと幾何学的なものにしている。国道を走る車の排気ガスは人畜無害かのように振る舞っていた。中空を見つめていると現実と対話しているような気がした。私は内容のほとんどを覚えていない。きっと現実のほうも私に何を教えたのか忘れてしまったのだろう。
私は上滑りの夢の中でアントニオロペスの描いた絵を眺めていた。「現実が人間に幻覚を魅せている」そうロペスが語っているのを思い出すと夢から覚めた。
彼の作品には光や、流れていた時間が描かれている。彼が一本の花を描いたとしたら、彼がいかに花を愛していたのかが分かる。写真は時間を止めるが、絵は時間を止めない。
何より彼を好む理由がひとつある。彼が愛しているのは現実で、同時に、彼は現実からも愛されているように見受けられる。それを羨ましいとは思わない。私も現実を愛し、愛されていると実感している。
私は数ヶ月前に何千も書いた詩を捨てた。混沌とした青年時代に別れを告げた。ちょうど、恋人と別れた女性が長い髪をバッサリ切るのと同じ理由で、ただ前を向くために自分の一部を捨てた。決意は行為のずっと前にしていたので別に悲しくなどなかった。そうして暫く宮沢賢治の詩集を手に取り、読むわけでも感じるわけでもなくただただ眺める日々を過ごした。
私だけに限らず、私たちの多くは質問しても返事しない存在を好む。私たちは理解してくれる他者を探して彷徨うが、まるでその裏面が事実かのように一切の理解を示さない人間以外を愛する。それ故に煩悶する。
私と、あなたたち一切が感情を持っている限り現実は消えてなくならないという話をしたい。私はこのブログを書いて、現実を愛せ、そう言い続けている。愛されないから愛さないのは無理解を生じさせる。救われたはずの人を救わなかったのは私たちである。だから愛せ、何も残らなくとも。
私たちが生きているこの時代は窮屈なことで溢れていて、例えるなら、私たちは水槽いっぱいに閉じこめられた一種類の小魚のようだ。自由に泳げたとしても周りには水槽の温度より低い体温を持った魚が多すぎる。私たちにはまだ行ったことがない隣の水槽が美しく広い場所に見える。向こうの魚が自由で美しく見える。一方こちらは酸素不足で優しい魚が少ない。餌だけは誰かから与えてくれるものだからこの水槽からは出て行きたくないけれど、時々は出て行ってみたいと思っている。私たちの多くは力がない。意志がない。あの揺りかごには戻れない。
ちなみに言えば、薄暗い場所にある孤独を棲家として、水槽から出て行った者を忘れない、または忘れない努力をせざるを得ないのが詩人である。だから一行も書かないまま絶命した詩人もこの水槽の中には生息していただろう。私は数行書いて生きた気になっているが、10年先は後悔の渦に行き場を失っているはずだ。
現実というものがもし人間に語りかける言葉を持っていたとしても、言葉という外延を伴ったものでは語りかけてこない。ならばこの文章を春に捧げたいと思う。
私の妹を連れていった春。嵐のような激しい青年時代の幕開けは妹の死と同時に始まった。私は、私の妹が死んだと知覚した時、家から駆け出してアスファルトに突っ伏して泣いた。言葉に直せない呻き声をあげて長年の怨恨が蒸発していくのを怒りに似た悲しみの中で感じ、頭を抱えて溺れるようにあがいた。
現実に手を伸ばして、あの夜、全ての悲しみと憧れが一枚の苦しみに張り付いているように感じた。その一時も休まることがない時代を宮沢賢治の詩集を読んでなぞり傷を舐めて過ごした。縁石を強く噛み、欠けた前歯は今でもそのままにしている。
私が彼ら天才達の言葉(のようなもの)をほとんどフィルターなしに受け入れてしまうのは、何もこの性格が素直だからではない。自己を持たない人間だからである。これほど疑いなしに何かを信じられるのは、私が彼ら作り手側の人間に会う機会が一切ないからである。さらに、私は対話それ自体が内容の意味を異なったものにさせるという前提条件を踏まえているのでこのような人間らしい会話は人間とはしない。そういう話がしたい時は此処ブログの世界で死んだ妹とする。
生命は現実が許さない限り存在し得ない。死ですら現実を必要としている。
どうしても現実を愛せ。
今でも、アスファルトに涙と唾液が滲み出した瞬間に雨が降り出したのを覚えている。この記憶さえあれば私は埋没した個性溢れるこの社会で唯一無二の存在でいられるので、不安で仕方のない気分の時、記憶を呼び覚ましては何度も生の実感を得ている。私の儚い遊戯である。
ビョークが好きだった妹は、ロッキンオンという雑誌に印刷されたアイスランドを見て、一度はアイスランドに行ってみたいと言った。当時の私にはそれが実行する気のない全くの嘘だと決めつけていた。恐らくその時点では間違っていないだろう。彼女には現状を打破する意志がなかった。私にもなかったが、私は自身の意志の弱さに苛立っていた点で違う。世の中があまりに無知に対して厳しいのを知らない妹が嫌いだった。それでいて私も守られていた。
妹が死んだあの春とはまた別の春、私は宮沢賢治の詩集を一冊持ってアイスランドのエイイルスタジルという小さな村に暫く棲んだ。アイスランド語の習得は出来ず残念だったが農場の仕事を手伝いながら自然と触れ合うのは都会育ちの私には新鮮であり、気持ちを澄ませる貴重な体験だった。晴れた夜は近くの湖に出向きオーロラを眺めて過ごした。夜でも鍵をかけられない教会に入り、墓周辺に置かれた照明の光や月明かりを頼りに長椅子に座って、そこから窓の外を眺めたりもした。
雪はどこを選ぼうにも、あまりにも真っ白だった。
涙を流す手助けのために、私はまた何度も賢治の「永訣の朝」という詩を読んだ。独りきりで泣いた。それまで涙というものは誰かの前でしか流れなかったはずだ。きっと、妹が私の近くにいてくれたのだろう。そうでなければ涙は涙腺から溢れようもなかった。
現実が時には酷い仕打ちで私を愛してくれる。ロペスの絵や、賢治の詩、他にもありとあらゆる作品、それから妹の死が私の瞳に届いた。あらゆる物が二番煎じの時代でも現実が涙なしに涙する私を慮って慰めを施してくれたのだ。
妹よ、私も真っ直ぐに歩いていくから、春を悲しむのはここまでにする。
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