ゲス極たちの民事裁判

夏だ。

クーラーの効いた部屋で舌が火傷するほど熱いコーヒーを飲んでいる。
窓の向こうに大きな入道雲が見える。

今日、裁判所から封筒が届いた。今回で三度目だ。一度目は裁判員裁判の裁判官に選ばれましたという案内だった。俺は死刑制度に反対する身なので辞退した。
二度目も裁判員裁判制の案内だった。二度連続して選ばれるケースもあるとは聞いたがまさか本当に起こり得るとは。
宝くじでも買っていれば一等を引いたんじゃないかと思った。俺は再び辞退した。

そしてこの度三度目。二度あることは三度ある…か。いい加減にしてくれと封筒の中を確認するとそれは訴状だった。通りで封筒の色形が違うわけだ。

読むと「3年前、俺の嫁と不倫したんだから300万支払え」という旨の内容が書かれていた。

ふむ。どうやら俺は本当に訴えられたらしい。


3年前?嫁って一体誰のこと?
昨日抱いた女の名前も知らない俺が3年前どこの誰と寝たのかなんて覚えているわけないだろ。

マグカップを置いて「お前は今まで食べたパンの枚数をおぼえているのか?」とのん気に呟いてみる。

窓の外はきっと火星みたいに暑い。状況は変わりそうになかった。
咳をしても独り。

まるでカフカの審判みたいだ、とも思った。俺は誰と寝て、誰に訴えられたのだ?と前衛的に事実を捉えようとした。しかし小説と違いこの俺には身に覚えがあった。火のないところに煙は立たんものだ。

まずは誰と寝たのか思い出そうと思った。

訴状に添えられた証明にはいつどこで俺が不貞行為を持ったのか書かれていた。それを頼りに当時のメール、ハメ撮り写真を見返すとすぐに誰か分かった。

ハメ撮りが役に立つ日が来るなんて思わなんだ。

なるほど確かにあの女は美人だった。その割に美貌を鼻にかけている様子はなく、物分りが良かった。簡単に口説き落とせたのは旦那に飽きた人妻だったからか。

ははーん。俺は人間のからくりに一つ気付いた。


このまま訴えを無視しようと考えたが、逃げると非を認めたことになり敗訴になるだけなのでその選択はすぐに捨てた。だったら争うしかあるまい。次に弁護士を立てて争うか、一人で争うか考えた。それもすぐ答えは出た。俺は戦い方を知らない。雇おう。
俺は月島さんという法律に強い知人がいることを思い出し彼に相談することにした。

「もしもし月島さん。今お時間よろしいですか」
「大丈夫だ高橋。どうしたのかね」
「なんか、あんま分かんないんスけど訴えられたんスよ」
「訴えられても仕方ないほど馬鹿な口調だな、ええ?」

俺は詳細を述べた。月島さん曰く、起訴できるほどの証拠を掴んでのことだから、こちらも弁護士を立てたほうが結果的に最小限のコストで済むだろうという話になり、知り合いの弁護士を紹介してもらう運びとなった。
以前から何かと相談相手になってくれる方だったがこれでもう彼に頭が上がらない。

起訴される前にどうにか出来なかったのか考えるももう遅い。俺はこと自分の人生や人間関係においては注意不足な男なのだ。自分の人生だってどうでも良いと思っている。だから、今すぐここから逃げても構わない。振込みのある口座を知られる恐れもない。それをしないのは要するに裁判というものが一体どういうものなのか経験したかったためである。裏切られた夫の憎悪に塗れた顔にも興味があった。

間もなく弁護士と会った。餅は餅屋というもので、少し話しただけですぐに俺一人で戦うのは無理だと気付いた。手付金を払い仕事をしてもらうことにした。

裁判に至って性交渉を持った事実をこちらも否定しないでおくことにした。もう述べたが向こうには根拠となる証拠がある。下手な嘘は身を滅ぼす。だから「性交渉を持った時点で結婚しているか知っていたかどうか」が争点となるだろう、という話になった。

それから月一度のペースで裁判は行われた。

俺が既婚の事実を知っていたかどうか聞かれれば、知っていたような気もする。(先日まで忘れていたが)この女なら何度か抱いた。たとえ勘の鈍い男でも何度も抱いているうちに男の存在に気付くというものだ。
ただ女に年齢を尋ねるのが失礼なように、俺は女が結婚しているか聞かなかった。証拠を残さないためではない。体だけが目当ての女の過去や性格や環境に興味などないからだ。

俺は忘れっぽい男だが一貫性はある。俺ならこうするという振る舞いを過去の俺もやっていたという単純な推測に従って、証拠は出ないと踏んだ。

              ○
俺は知っている。女だって動物だ。愛を誓った男がいようがいまいが、誰かに抱かれなければ越えられない夜がある。生きていればいつか自覚する孤独を紛らわせるために人は皆他の誰かを求めて生きる。

              ○
裁判は、結果から言うとこちらの思惑通りに事が運び実質的に勝訴と言っていいものになった。

当初、俺の周囲は美人局なのではと女の存在を疑ったが、ハメ撮り写真を見返しながらオナニーしていると”この女はそんな女じゃなかったはずだ”と思い返すようになった。

男である俺の勘など信用できないが、女は喘ぎながら、俺に愛されたいと願っていたように思う。

それにしてもこのハメ撮り画像、面白半分で原告に送ってみたらどうだろうか。思惑通りに屈辱を噛みしめてくれるだろうか。裁判の行方より、男の感情を転がして遊びたいという誘惑が日々増していった。

              ○
さて原告から送られてきた慰謝料請求の文面はえらくネチッこかったので、きっと俺のツイッターも監視しているだろうと思った。

俺は証拠になりそうに見えて実は何にも役に立たないツィートをいくつか投稿して出方を見ることにした。考えている通りの男なら罠に喰いつくし、想定以上に賢かったらそもそも裁判にならない。

かくしてこの勘はあたった。証拠として俺のツィートをわざわざ印刷して提出してきたのである。微妙なニュアンスのツイートを不倫している証拠だと主張する。こちらは無論、全て反証可能である。

俺はこみ上げてくる笑いを堪えながら反証を用意した。
嘘を通すのは難しいものだが、平常心でない男にとってはどれも真実に見える。容疑者Xの献身にもこの手のトリックがあったよなぁ、と思うと愉快になってその夜は飲まずにいられなかった。

決定的証拠は相手のすぐ近くにあったが俺は証拠隠滅をしなかった。フェアを楽しみたかった。そして、どうやらこのまま見つからず済みそうだと分かると俺はすぐ安心して眠るようになった。

              ○
原告は元俳優で今は脚本家をやっているらしい。
調べてみれば三流ライターである。俺は見栄っ張りな彼に自分と似たものを感じた。

少し調べると原告は金の工面に困っており、自分の嫁に対しても慰謝料や興信所に使った費用を請求していたことが分かった。美人局の可能性はこの時消えて「なんやこいつ単なるヤバイ奴やん」と思った。

その金、嫁に使ってたら今と違った状況になったのに。

もう少し調べると原告は妻より先に不倫していることも分かった。自分の嫁を訴えるような男がマトモに彼女を愛していたワケがなかったのである。

はは、クズ加減なら、俺だって負けてないぞ!そう思い、俺は男が不倫関係を持っていた女を見つけ出しては口説いて抱いた。

誰とでも寝る女なら俺とだって寝る。モラルに法律はあるまい。不倫女を抱きながら俺は彼女に原告の名を言わせた。その声はシーツの隙間に吸収されて消えた。

行為後、原告が彼女にしたメールを読ませてもらった。
「生理なら会わない。また金をくれ」というメールは俺を幸せにしてくれた。

そうだ。純潔なぞ大嫌いだ。善良さなどまっぴら御免だ。どんな美徳もどこにも存在してほしくない。一人残らず骨の髄まで腐っててほしいんだ。

黒い笑いが俺を満たした。

深夜2時。ホテルに女を残して出てきた俺を街灯が照らす。

「あの男、あんなブスに手を出すなら嫁を抱いてたほうがまだマシなのにな」
俺は煙草に火をつけ、用済みになったマッチ棒を道端に投げた。

なぁ、俺たちはなんてゲスなんだ。なんて猿なんだ、なんて昆虫みたいなんだ…
虚しい夜に、自己陶酔しながら吸う煙草は格別に美味い。

タカコという可愛い女とのデートを翌日に控えたある夜の出来事だった。

              ○
夏が過ぎた頃、裁判官は俺たちに「いくらかでも払って早く終わらせませんか」と勧めてきた。
裁判官も人だ。こんなくだらない案件早く終わらせたいだろう。

ここで俺は「決着がつくまで争う」か「示談金で済ませる」の二択を迫られたわけだ。弁護士は示談金で済ませたほうが良いのではないかと勧めてきた。

このまま長引くと次は俺と女の召喚訊問が待っている。俺の代わりに弁護士が戦う、このことに俺は金を払ったし、金が仲介している以上これが弁護士の価値だ。

「少し考える」
俺は時間を貰った。出廷も自分には良い経験かも知れない。ただ俺は証人喚問がある時期にハワイへ行く予定でそれを潰されるのが嫌だった。そろそろ俺も動こうと思った。

季節も変われば女も変わる。ここ最近恋愛関係を持ったタカコと打ち上げた情熱の花火を終わらせたくなかった。この頃には男へも興味は既に薄れており、裁判の優先度は一番低かった。

俺はタカコに夢中になっていた。彼女との恋を邪魔されたくなかった。

で、男について調べた。男は嫁に暴力を振るって病院送りにしていたことが判明した。だからきっと嫁は原告を助けるために出廷しないだろう、そう判断できた。そこまで分かると決着がつくまでやっても良い気になった。

完全勝訴なら0円で済む。ただし、どの道にせよ召喚訊問は免れず、たとえ勝っても控訴されれば示談金より弁護費用が発生することだろう。それよりハワイ…俺はタカコとハワイに行くという夢を捨てられなかった。

原告の嫁を召喚することについては、今更その女について思うことなどないが、金のために駆り出され、なるべく安く済まされようとしているこの女が一番淋しい存在なのだろうという程度の感想を持っている。

結局どうでも良いのだが、束の間の肉体関係が妙に懐かしく思え、俺は参加者全員ゲスの裁判をそろそろ終わらせようと思った。

              ○
「示談にする」俺は弁護士に伝えた。
「ただし10万。これ以上示談金を求めてくるようなら完全勝訴まで持って行く」

これは賭けだった。いや、希望的観測の枠を出ない願いだ。俺が原告だったとしたら、絶対に示談金10万で手を打たない。こんな安い金では初期投資の10分の1も回収できないからだ。それに10万で済まされるくらいなら裁判を続けて俺を証人喚問して精神・時間的にストレスを与えるはずだ。仮に勝てたとしたら40万だか50万以上だかが原告に戻ってくる。たとえ負けても控訴すれば、俺に数十万弁護費用を追加できる。

俺が原告なら示談に応じない。俺が原告なら…と迎えた決戦はものの数分で終わった。相手は10万で手を打ったという入電があった。

「おつかれさん」俺がその場にいたなら原告側の弁護士にこう声を掛けただろう。
原告にはそうだな。「10万で良い女を買って早く忘れな」とでも言っただろうか。

              ○
そんなこんなで後日このことを月島さんに伝えるために飲みに出た。

「ある程度進め方や答弁のポイントも学んだので次からは弁護士なしで争えそうです」
「まず、そういうことはするな」
その後裁判の話にはならず、政治について話し合った。

「結局儲けたのは弁護士と酒屋」
帰り際、俺は煙草に火をつけてそう愚痴をこぼした。
「まぁ、そんなもんさ」
「負けるかも知れないと取っておいた金は、ハワイで使いますよ」
「それで高橋も今回の件は忘れてしまえ」

月島さんと解散後1人になり、俺はスマフォを取り出し、女から連絡が来てないか確認したが何の通知もなかった。

俺は誰かに抱きしめてほしかった。女への承認欲求がひたすらに強い俺は、女を抱いて、女を裏切ることでしか生きる術を知らない。

きっとハワイから帰ってきた頃にはタカコへの想いはこの燃え尽きた煙草と変わらない。
きっとクリスマスは一人で過ごすだろう。
きっと年越しは一人でいるだろう。
きっと俺はどんな夜にも恵まれないだろう。
きっとこの先何年経っても、俺は猿を続けるだろう。

「愛して」という声が風の中から聞こえた。
いつか抱いた女の声かも知れない。

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