一度も咲かなかった花
子供の頃、僕は何を求めていただろう。
それが何だったか思い出すことで自分の欲求の源に辿り着けるのではないか。
酔いざめの朝、まだ青白く冷たい街を歩きながら思う。
この根源に辿り着き、それに従い満たしてやるのが人生の目的だろう。そうであって欲しい。この人生が死ぬまでの暇潰しを見つけることであったとしても、自分はせめて有意義に生きていると思いたい。
生きる目的をネットに尋ねても意味はない。たいてい宗教勧誘につながるWEBへつながる。そういうことじゃねぇんだよ、と思わず口走ってしまう。
不安というのは目標を持つか、趣味に没頭するか、恋愛に盲目するか、宗教に入るか、気が狂うかしないと隠せるものではないのだろうか。それとも墓でも買えば安心できるの言うのだろうか。
道端に置かれた、枯れた花が揺れている。
○
先日とあるカラオケバーで次の曲が入力されるまでの間数分だけ見たテレビの話。
初老の男性がインタビューで「自分は下流老人だろう」と言っていた。彼は清掃業に勤めている。家族はない。
夢は小説家らしい。今もまだ書いているようだ。小説の内容も一部だけ紹介されていた。低所得層の実際生活を書いたものだった。
他の客がカラオケをオーダーし、そこでテレビ映像は切り替わった。僕は次曲場の空気に合わせた無難な曲をリクエストした。店を出る頃には相当酔っていた。楽しいまま夜が終わった。しかし翌朝になっても老人のことが胸に残っていた。
夢を持ったまま機会や才能に恵まれず、衰え消えていく人はこの世に何人いるのだろう。ほとんどの人は何にもなれずに中年を過ぎる。そういった数えきれない人々の中で、たった数人が選ばれて押し出されていく。
銀塩フィルムの資材が枯渇する前にフィルムカメラが廃れるなんてほとんどの人が予想していなかったように、文学系の大学を出るとそのまま小説家になれた時代があったなんて今では想像すら出来ない。
僕の夢は小説家ではないが、そう書くと自分に嘘をついている気がする。
願望なら他にいくらでもあるし、全て叶えられると思うほど身の程知らずではないつもりだが、昔見た夢の跡まで消せるほど器用ではない。
どこかわだかまりを残したまま毎日が過ぎていく。
どこか、自分と折り合いをつけられないままエントリーも終えることにする。