わりとコミュ障なぼくらへ
自分に合っている人と出会うのは難しい。それが師であれ、友であれ、恋人であれ。
「信じていた」という一方的な思いをないがしろにされた時「裏切られた」という気持ちにも発展しがちだけど、すれ違いは人間だから仕方がない。そんなことは分かっている、と思われるかもしれないが「頭で理解できても心では理解できない」なんて日はけっこうあるものだ。
あれは言ってしまえば心神喪失の状態だ。自分が何をしているかは分かっていても何故それをしているかは分からない、といった人間様ならではの心理状態だ。現実と願いが大きくかけ離れて、疲れと孤独が魂を蝕んでいる時に起こる現象なのだろう。
裏切ってしまうのは心の弱さだ。裏切ってやろう、なんて思っている人は”裏切られたくないと思っている人”が想定するより少ない。
(でもまぁ、こいつ根っから悪いんだろな~と思ってしまう時はあるよね。善人であろうとする人が好きなのであって根が悪いからといってその人を否定してはいないつもりだけれど)
「だから」と言っていいのか「でも」と言って良いかは分からないけど探す行為に疲れたからといって「出会い」を諦めてはいけない。そう思っている。
身も蓋もないこと書くが、みじめで馬鹿で取柄がなくても愛されている人ってけっこういるじゃないか。愛されている、というおこがましい自覚をしっかり持つことで対人関係というのはある程度潤滑するんじゃないかな、と思う。
そういうわけで、傷付いたことで気付くことがあること込みで出会いは大切だ。
信用できる者などいないとカッコつけて友をないがしろにしていると何が起こるかといえば、いつか社会が憎く見えたり、誰かを傷つけたくなる衝動を止められなくなるのだ。負の感情は誰にでもあるし、一人の人間が自分の感情をコントロールできるなんて思わないほうがいい。自分は、自分が思っているほど自分ではない。
とにかく、気のおけない友を持つというのが重要な点だ。間違いを認めてくれる友も、間違いを指摘してくれる友も両方必要だ。外見、内面、地位、生活環境など恋人を持つより条件が少ない分見つけやすいだろう。というか条件うんぬん関係なしに第一印象の良し悪しだけで友は持っていい。
人間様の作法は誰も教えてくれないから友を作るのもまた才能や運に依存するのだろうが、まずは挨拶、まずはビール、まずは乾杯すれば良いのではないかと思っている。相手が自分をどう思うかなんて関係ない。別れ際に「また会おうぜ」と言うだけで友情は成立する。
一部の特別製を除いて人間全体孤独を抱えたまま産まれてきているのだ。好意的になることはマイナスにならない。
よく恋人を求めて飲み歩いている人はいるけど、いきなり恋人というよりは友を恋人にするほうが失敗は少ないかと思われる。順序を飛ばしていきなり恋人を探していると「あいつは誰でいいんだ」とか言われてしまうから気をつけて(体験談)。