宛先のない手紙
言葉を用いる人間がいて、各々の見識次第で愛は何にでもなる。何にでもなってしまう。憎しみも、愚かさも含めて愛だから、愛はいつも綺麗なわけじゃない。
愛とは恋が発展したものだと言う人もあれば、恋と愛は全く別物だと言う人もある。
恋愛論を書きたいわけではない。ただ僕はよく形を持たないものについて考えを巡らせる。
解けない問題を解こうとするのが好きなのかもしれない。
目に見えないものが好きなのかもしれない。
ただただ、この詩情を落ち着かすために愛とは何かを考える。
実際、都会に生きる我ら人間にとって愛とは何かなどどうでもいいことだ。どうせ金にもならない。ただブロガーはそれを種に布衍し、空想し、空想の産物を相手に苦しみ、時々は夜空に詩を書けるまでになる。
酒を飲めばいずれ酔うのと変わらないことだ。上手く酔えるか悪酔いするかはその日次第だ。
書き始めればブログも最後、詩になっているかもしれない。
ある種の人たちも秋になれば自然と詩人になる。夕焼けの影響を受けて勝手になってしまうものは仕方がない。どうしたって秋は詩人のためにある。
僕のような瑕疵あるブロガーですら生きるためには秋がいる。
愛とは何か。それは僕のようなブロガーには説明できないだろう。僕には言葉が少なすぎるし、生きていればいつか分かるというわけではなさそうだ。
喪失されたものを埋めるためにブロガーはwebの片隅に遺書を残す。愛しているのもまた喪失されたものなのだろう。
愛は、路上にいる猫のように、名前も持たずある日突然いなくなり、二度と帰ってこない。いつかの愛も、夢の中で笑いながら僕に「宛はなくとも、いかなくちゃ」と言った。あの時、夢の中でも僕は何も言えなかった。
今なら、そうだね、さよなら、と自分から言えるかもしれないと思う土曜日の夜。そろそろ書き終えて僕も宛先もなく外へ出ようと思う。
君よ、君も路上の猫のように行きたい時に行けば良い。
では、いずれまた
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