エリオット・スパイラル 後編
嵐の前の静けさだ。どこかで女が泣いている声が聞こえる。
もう少しだけ自分について書こうと思う。長文はブログに向いていないので控えておきたいが書きたい時は書くしかない。どのみち幸せになるまで書き続けるつもりだ。
ぼくは思春期が始まった時から、行く宛てもない悲しみや苦しみ、劣等感を紙という閉じこもった世界へ書き殴っていた。誰にも届かないように、誰かぼくを見てくれ、と叫んでいた。
叫んでも許される場所はそこにしかなかった。
自分は詩人だとすら思っていた時もあった。自己慰安に過ぎない詩を心の何処かでは見下していながら。
つい昨年に閉鎖してしまったが、ぼくは別にブログを持っていた。そこではヨーロッパで撮った写真と旅行中に書きためた詩をエントリーしていたが、観てもらいたい写真と詩を全て出し尽くすと次のステージが見えなくなり閉鎖することにした。
当然ブロガーがブログを削除することは敗北宣言に他ならない。失意のもとの閉鎖だった。勝ち負けのない表現の世界でぼくがぼく自身に敗北した瞬間だった。
今こうしてブログに戻ってこようと思ったのは何故だろう。書きたいことはないけれど何かを書きたいと思ったのだ。
それこそ、そんな夜もある。
昨日、いや書いてるうちに時間がすぎてもう一昨日の話となった。部屋を掃除していた。消耗品以外は要らないと色んなものを捨てた。当然、自分の書いた詩も対象となる。
ずっと以前から書いてきた詩を読み返してみれば、20歳を過ぎたあたりのぼくは冷たい街角で夜空を見上げながら、なぜ心で愛する人を体で愛することができないのか、そんなことばかり書いていた。
あの頃はどんな女もぼくを裏切るような気がしていたし、きっと失恋するのも好きだった。叶ってしまえば、抱いてしまえば、その人からは何も感じなくなる。
誰かを好きだと言えば自分に嘘をついているような気がした。
詩を捨てる作業を続けた。シュレッダーに流れ込んでいく紙たち。そこに書かれた文字はシュレッダーには行かず、逃げるように、別れを惜しむようにぼくの目に流れ込んでくる。
本当に、捨てたことで決別できると思うなよ。中にはこう言いたげな文字もある。
かつて想像に富んでいた眼に流れ込んでくる詩たちを見つめる。
「裏切られる前にせめて自分から裏切ってやれ」
これはひどい言葉だ。詩でも何でもない。けれどこれを書いた時、確かにぼくは泣いていたのだ。
さようなら。あの人との苦い思い出は忘れない。だいたいあんな人に好意を抱いたぼくが悪かったのだ。
「出会うべくして出会ったんだ。君もそうだって信じてよ」
女々しいという言葉が男のためにあるようにぼくの根は暗い。そういう性質を持ったぼくがする恋愛はひどく汚れた紙のようだった。
詩よ紙よ、さようなら。どれほど別れが恐くてもお迎えが来たら行かねばならない。紙よ、それが死だ。
「何度好きだと言えばあなたにこの気持ちが伝わるのかわからない」
これは自らの手で破った。ビールを飲み干し、ぼくは天井にむかって言う。
愛していたのは自分だろ。
完全な独りよがり。
自己憐憫と紙たち。
他にもヨーロッパ旅行中に取り残しておいたレシートが大量に出てきた。その裏にはできるだけ多く詰め込むように書き込まれた悲しみの文字列。それですら最初から最後まで一人よがりに過ぎなかった。だからもう無限の孤独へ散っていけ。さようなら。
シュレッダーの動作音が消え静寂の部屋の中でぼくも黙る。
ぼくはいつでも馬鹿だった。ツィッターでも、ミクシーでもフェイスブックでも、どこでもたったの一文字書き込むだけで、それは孤独が書かせたものだった。どうして今までそれに気付かなかったのだろう。
だけどそのことに気付かせてくれたのもやはり詩のような言葉だったと思う。
ぼくは言葉に感謝せねばならない。ひどく頭の悪いぼくによくぞここまで気付かせてくれたと思う。
だからこれまでの詩は捨てよう。涙には値しない。それすら自己満足だ。
そして思春期がはじまったときから現在に至るまで、激情に近い苦しみを受け止め続けてくれた紙たちよ、本当にありがとう。
ようやく君たちの存在が何のためにあったか分かった。君たちも知っての通り、ぼくは最近になって君らがぼくに書けよ、書けよ、と脅すように迫り続けてきた理由を知ったのだ。
さようなら、ぼくの詩よ!
死すべき眼のように、想像した眼もいつか閉じられねばならない。
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