残量5%のグッドナイト
二十歳前後か。あの頃バーテンダーをやっていた。
今思い返してみてもバーは接客業の中で特殊な職業である。
お酒が入って理性を抑えた人間をシラフで見守るバーテンダーは良くも悪くも人間の嫌な一面を知ってしまう。
そのバーの常連 - といってもバーテンダーとは話さないが
- の一人に初老の男性がいた。彼はよく店に若い女を連れてきていた。連れてくる女は「若い女」であれ同一人物ではない。
彼はウィスキーの水割りを1杯飲み終える頃に若い女の腰に手を回す。2杯飲み終える頃には手を取り、指を絡めながら会話を始める。若い女達は皆この辺りから猜疑の眼差しに変わっていく。
彼女たちは言う。
「そういう感じは求めていないです」
「相方(彼氏)がいるので」
「明日早くに仕事なのでもうそろそろ帰ります」
どうにか状況を逃れようとする若い女たちと取り付く島を探す初老の男。時には触るなジジイと言われ店から出て行かれたこともある。それでも懲りずに別の女性を連れてくるのである。
暗い情熱だ。不快とまでは言わないがその光景を見る度に思っていた。
俺はあんな老人にはなりたくない。自転車に乗って帰宅中、頭の中で暇を持て余した俺はあれこれ想像した。
年を取ると若い女に相手してもらえなくなる。だから金を払ってキャバクラに行く。肉欲を満たしたい時は金を払って風俗に行く。逆に言えば歳を食えば金を払うだけでいいのだ…しかし俺の場合、金を払ってまでする会話や性処理は趣向ではない。
俺も将来あの男になる可能性があるということなのだろう。
○
良い歳をしてオンラインゲームを始めた。ネットに接続して自分のアバター作成、操作し異世界を旅するMMORPGと呼ばれているやつだ。
俺はこの手のゲームが流行り出した頃プレイしなかった。オンラインや課金というものを理由も特になく避けていた。実際には無料で始められるゲームを何度かプレイしていたのだが、仕事やプライベートが忙しくて普段ネットに触られなかった。
ひと月に何度触れるか分からない物に課金したくなかったのだ。
時間が経ち色々あって独身に戻った俺はやりたいことが特になかったので予てより興味のあった流行のゲームを手にすることにしたというわけだ。
俺のアバターは若い青年でオンライン上での名は「GOOD-NIGHT」。昔好きだった映画の好きな役の名だ。職業は銃士にした。
長時間オンラインに耐えられるようにクッションやひざ掛け、ティッシュ、ゴミ箱、保温性の高いマグカップやおやつを用意していくうち立派なネトゲ中毒になってしまった。オンラインだけの知り合いもいれば、実際の知人もいる。
ゲームの世界を一人で旅するのも好きだが、ログインすれば誰かに会える、このことが嬉しかった。
○
YU-MA SAY「元気?」
GOOD-NIGHT SAY「無論」
YU-MA SAY「チャットがずっと一時退室になってるけど一人で動きたいの?」
GOOD-NIGHT SAY「ああ、、うっかり。解除していなかったな。入室するよ。以後はボイスチャットで」
「道理でヘッドセットをして語りかけていても反応がないわけだ」
「そうだと思ったよ」
悠馬。俺にこの「グレートエスケープ・オンライン」を勧めてくれた本人である。機械に疎い初期セットアップも彼がしてくれた。進行に詰まったり、状況が呑み込めなかったりすると彼が何でも教えてくれる。
オンラインでの友人も出来た。
AYA SAY「こんばんは。仕事がさっき終わって、ようやくオンラインです」
YU-MA SAY「それはそれは。遅くまでお疲れ様です(^^;)」
このAYAという女性は悠馬の実際の知り合いで俺は会ったことがない。趣味がオンラインゲームということで意気投合し悠馬はこの人に片思いをしているらしい。よく二人で出かけるのだそうだ。
初対面はオンラインだったのか、現実なのかは聞いていない。男同士立ち入った話はしないという暗黙の了解がある。
悠馬は25歳。AYAさんは同年代だと言っていたっけ。聞いたかどうかも忘れたし今更聞けなかったりする。
○
ある日、三人でネザーランドビューという区域に出かけた。文字通りオランダの田園風景や風車がある世界だった。
悠馬はAYAさんと仲良く話している。
俺は黙ってついて行く。
AYAさんは俺に気を使って時々話しかけてくれる。
悠馬はそれに気付いて俺にも話題を振ってくる。
ふふ、いいのだ若者よ。お前は俺を連れ出すことで、さもデートではないことをアピールしつつもゆっくり彼女と仲良くなっていく作戦なのだろう。
そういえば学生時代のサークル活動でもこんなふうに利用されることがよく会ったなと思い出す。俺は恋愛にあまり興味がない男だったし、どちらかと言えば野郎ばかりで集まって騒いでいるのが好きな奴だった。
利用されると言うと聞こえが悪いが、俺はその役が嫌いではない。鈍感無知な役を演じているからさっさと恋仲になってほしいと思う。悠馬が幸せならそれは俺にとって良い事だ。
ゲームばかりしていても何もならないが人生のコマがゲームによって進むならそれは馬鹿に出来るものではないのだ…などと、美しい風景を走り抜けていく二人の後姿を追いながら思った。
○
後日、悠馬から恋愛相談があった。
GOOD-NIGHT SAY「男女間の恋愛を俺に言っても何にもならないというか、相談相手から間違えているならその恋愛は上手く行かないのではないか?」
YU-MA SAY「そうそう、その間違った意見が参考にってww」
そんなわけで、相談も何もAYAさんが如何に素晴らしいかを2時間ほど聞かされた。何日はどこへ行っただの、レストランはどこへ行っただの、興味のない話ばかり聞かされた。
俺は途中で言葉を遮り「俺は聞くだけでいいのか?話があるなら早く振って注げよ」と言った。振って注げよ、はレイモンドチャンドラーの小説に出てくる言い回しで、俺と悠馬はこれが気に入っている。ここで悠馬は意を決して俺に依頼を出した。
簡潔に言うと、彼女の内心を俺から聞き出して欲しい、と言うのだ。
俺でなくても良いじゃないかと言ったがAYAさんは俺には心を開いているように見える、と言うのだ。
内心がどうだの、そんなのは直接聞けば良い。それで壊れてしまう関係ならそもそも上手く行かないだろう、と言っても恋に気が触れた男は聞く耳を持たない。
第三者が入るとこじれるだけだと断ろうとしたが悠馬は頼むAYAさんと仲が良い人を他に知らないんだと押し切られ、結局引き受けてしまった。
○
GOOD-NIGHT SAY「好きな人はいるのか?」
で、いきなり聞いた。
AYA SAY「え?どうしたのです、、イキナリ…」
悠馬がログインしなかった夜、俺は早く用事を済ませようと早速聞いてみたわけだ。
GOOD-NIGHT SAY「どうなんだ」
AYA SAY「それは、いてません、いや気になっている人はいます」
GOOD-NIGHT SAY「俺ではないよな」
AYA SAY「え…どうしたんですか今晩は」
GOOD-NIGHT SAY「じゃあYU-MAか」
聞いてみたが聞き出せなかった、という結果を俺は出したかった。他人が仲介する恋愛はロクなことがないからだ。
しばらく二人とも動かなかった。
言いたくないならいい、そう書き込んでいる最中にAYAが先に文章を完成させ送信ボタンを押した。
AYA SAY「YU-MAさんには言わないでくれませんか」
GOOD-NIGHT SAY「うん」
AYA SAY「じつはGOOD NIGHTさん、あなたなんです。あなたが気になって仕方ありません」
AYA SAY「三人で話してるときとても楽しくて、でも、いつの間にかあなたの少ない発言を待っている自分がいてることにきづいて…」
以降の話は覚えていない。
俺の穏やかなオンライン生活が崩れていくのだろうという不安だけが自分の中を駆け巡っていた。
○
聞けば、悠馬は綾香さん(AYAの実名)とデートの最中、しょっちゅう俺の話をしていたそうだ。頼り甲斐があるだの立派な人だの、肝心なことは伏せてあれこれ俺を褒めたらしい。
ゲーム上での二人の立ち振る舞いを見ているとまるで悠馬は子供っぽくて俺は大人っぽく見えたらしい。悠馬が子供っぽければ子供っぽいほど対比的に俺が大人の印象になる。悠馬は実際子供だ。然しどうするべきだ。
悠馬に事実を打ち明けるべきか。しかし綾香さんにとっても俺は「気になる程度」だ。なんせ実際に会ったことがないのだから。
綾香さんはあの日の会話の最後、一度会ってみたいと言った。俺は断った。けれどもこれが恋愛の罠だ、距離を置こうとすれば却って熱を持ってしまう。
三人で冒険をして悠馬が先にログアウトすると決まって綾香さんは語りかけてくる。俺はその度に先にログアウトすれば良かったと思いながら彼女の世間話に付き合わされた。
三度に一度は「実際に会ってみたい」と言ってくる。
俺はその度に言葉を慎重に選びながら断るのであった。
○
後日、悠馬が晩飯に行こうと言ってきた。俺はこのタイミングで事実を…いや、綾香さんはお前に興味がないという部分だけを取り出して言おうと思った。
「どこに行こうか」と悠馬が聞く。
「うーん、どこでもいいよ」はそう返事する。
「じゃあ駅前のXX寿司に行こう。たまには回転寿司じゃなく」
回転寿司でもいいのに、と思いながらも承諾する。いつもみたいなラフな格好じゃなく、たまにはまともな恰好で来てくれと言うので普段開けない棚からカジュアルスーツを取り出して店へ向かった。
俺は先に入店してビールを飲んでいた。つまみでも頼んで待っておこうと注文を出すとき悠馬が入店してきて俺を呼んだ。
穏やかなオンライン生活はこの時に終わった。
悠馬が綾香さんを連れてきたのである。
○
「GOOD-NIGHTは、実は僕の祖父なんだよ。ねぇ、驚いた?」
悠馬はドッキリ、サプライズでしたと言わんばかりに俺を紹介する。
そうなのだ。俺は75歳で、妻に先立たれた独居老人なのだ。
1人になって特にやりたいこともないままぼけっと日々を過ごしていたら、これではいけないと悠馬はゲームと御下がりのPCを持って我が家にやってきた。
そして「他のユーザーに気を使わしたくないから親族であることを伏せてゲーム上では友達として接しよう」という約束を交わしたのである。彼はこの約束を有効にしたまま綾香さんとデートを重ねた。そして綾香さんは綾香さんの中で悠馬と同年代の俺を作り上げた。
綾香さんは若い女だ。そして今、絶望したような顔をして俯いている。
「すまない」という一言さえ言えないまま時間が過ぎた。悠馬はオンラインと同じく、綾香さんとばかり話している。オンラインと違って綾香さんは俺に話を振らない。だから、悠馬は気付かずに会話を進める。
俺は何も話をすることもないままこの食事会が早く終わるよう祈っていた。
俺は昔働いていたバーで、若い女に情熱を注ぐ初老の男性を思い出していた。もうあの店はなく、あの男も生きていないだろう。あの男が連れてきていた女の表情と、今の綾香さんが重なる。
綾香さんはその夜以降グレートエスケープにログインしてこない。
そのうち悠馬もログインしてこなくなった。