通り過ぎる夏
楽しんでいる時は何も考えなくていい。
自然考えるまでもなく時が過ぎる。
気の向くまま楽しんでいるうちに人生が過ぎればきっとそれに越したことはないのだろう。しかし事実不可能なのは何故なのか考えることも恐らくもう一面の自分を育てるために必要なのだ。
特別製の人間はさておいて僕たちは道に迷う。腹が減れば苦しみ、満たされ続ければ返って嫌にもなる。
悩みは次の悩みの呼び水だ。
自分は何者なのか?
このまま何者にもなれないのか?
煩悶しながらただ仕事に没頭するのも時に愚かなことだ。
夕焼け、心が纏まらない。
普段飲まないオレンジジュースで心までオレンジにする。
すれ違った人が古い恋人に似ていた。
湿度のない風が吹き渡っている。
もうすぐ皆が詩人になる秋がやってくる。
夏が来れば暑いし冬がくれば寒いのだから秋がくれば淋しくもなるよな。
伸び過ぎた髪をそろそろ切ろうと思うこの時期、この歳になってもなお自分の怒り・悲しみ・孤独の場所が分かっていないことに気付く。
「誰だってそうだ」
これくらいの独り言なら別に変じゃない。
悲しい時に悲しいとすぐ気付けられたら対処の仕方もあるものを、気付きも出来ず夜を徘徊するのだから余計に悲しみが上塗りされる。
「おれは愛されているはずなのに」
誰にも聞こえぬように呟く。誰にも聞かれていないならまだセーフか。
感情というのは表に現れてしまえば簡単に対処できる生理現象なのだ。
おもちゃを与えれば泣き止む子供のように、自分が何を求めているかが分かれば物事は大人しく納まる。
感情に現れるより前に慰めを用意できるようなれないものか?
例えばスーパーで、レジを並んでいるのに横入りされて怒っている人がいたら、その人はきっと横入りされたことに怒っているのではない、怒りで膨らんでいたところ針が触れただけだ。
恋が叶わず悲しんでいる人は、破綻のずっと以前から悲しんでいるのだろう。
僕は孤独を感じるずっと前から孤独だ。
過去も、今も、未来もきっと孤独かもしれない。
孤独だ孤独だと言う前に自分におもちゃを与えられないから文章を書いて落ち着かせようとする。そういうふうに便利に使われるブログは悲しい自慰行為である。
夕焼けが夕暮れ時に移る頃、僕は淋しいまま生きるのは嫌だと思った。
振り返ればそこに愛する人が笑顔で立っていてくれたなら…なんて思うも、叶わぬのがこの世なら無理に願わぬのが人のルール。駄々っ子ではいられない。
黙って瞼を閉じ、僕は夕暮れと夜の境目を見届けなかった。
日が沈んだ。
そろそろ明るすぎる街に帰らねばならない。
シラフで過ごす夜は長い。
映画みたくエンドロールが流れてこないのが人生のつまらない部分だ。
たった数ページで終わる青春物語と、その後何百ページも続くあとがきが大切な青春を台無しにしてしまう。
ブックオフで目当ての本もなく彷徨い、コンビニにて食べたいものも見当たらないまま外に出る。
深呼吸のような溜息を吐く。
「今日は飲まずに帰ろう」言ってみてそれが正解であるという気がしてくる。
地球の上で人間として生まれ、生きる以上に大変なことはないと分かるまでちょっと遠回りしすぎたかも知れない。
真っ直ぐ帰ろう。
真っ直ぐ。
その後僕は2件寄り、1時間ほど歩いて帰った。